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姚泓 : ウィキペディア日本語版
姚泓[よう こう]

姚 泓(よう こう)は、五胡十六国時代後秦の第3代(最後の)皇帝。文桓帝姚興の長男。
== 生涯 ==
弘始4年(402年)に皇太子に立てられたが、出自に異説もあり、当初から文桓帝の諸子は後継争いを繰り広げた。また、姚泓は深く仏教に傾倒しており、父の文桓帝でさえその懦弱を不安視していた。弘始18年(416年)、後継者争い最大のライバルであった弟の広平公姚弼が、叔父の大将軍・尚書令姚顕の死去に伴って急速に影響力を失うと、ようやく皇嗣としての地位が確立された。
同年、文桓帝の崩御により即位すると、都常安の城内や各地で弟や一族が一斉に反乱を起こし、後秦は急速に瓦解した。また、西秦・後仇池東晋など周辺諸国も後秦へ攻め込んだ。叔父の魯公姚紹の奮戦によって何とか政権は維持されたものの、翌永和2年(417年)に姚紹が陣中で病死すると、もはや後秦を支える人物はいなくなった。劉裕の命令を受けた王鎮悪檀道済の東晋軍が常安を陥すと、末主はついに降伏し、ここに後秦は滅びた。同年、東晋の都建康に送られて処刑された。
なお、姚泓は処刑直前に山中へ逃げ出して行方不明になったため、困った劉裕は似ている人物を選んで代わりに処刑した、という話が伝わっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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