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好楽 ( リダイレクト:三遊亭好楽 ) : ウィキペディア日本語版
三遊亭好楽[さんゆうてい こうらく]

三遊亭 好楽(さんゆうてい こうらく、1946年8月6日 - 、本名、家入 信夫(いえいり のぶお)は、落語家円楽一門会の会長。
== 来歴・人物 ==

出囃子は『ずぼらん』(或いは師匠5代目三遊亭圓楽、及び師匠の直弟子である6代目円楽と同じ『元禄花見踊』)。演芸番組『笑点』(日本テレビ)の大喜利メンバーとして知られる。前名は林家九蔵。妻の父は5代目柳家小さんの贔屓筋だった〔3ページ - 5ページ、林家木久扇の寄稿文『三遊亭好楽外伝』より。〕。長男の一夫は、落語家の三遊亭王楽で、弟弟子にあたる。このほか、王楽と好楽門下のマネージャーを務める〔129ページ。〕長女と雑司が谷で店を開いている〔130ページ。〕次女がいる(いずれも王楽の姉)。
競馬ファンとしても知られており、報知新聞に予想記事を掲載していたがまったく当たらず、クビになっている〔125ページ。〕。
『笑点』の共演者である林家木久扇(旧名(初代)林家木久蔵)は、8代目林家正蔵(後の彦六)一門にいた当時の兄弟子でもある。
元々、5代目圓楽の惣領弟子になることを希望していた時期があったが、新聞で楽松(現:三遊亭鳳楽)が惣領として弟子入りしたことを知り、考え直した末、2代前の圓楽であった、当時の8代目正蔵(後の林家彦六)の落語を聞き、彦六門下に志願することにしたと語っている〔73ページ - 75ページ。〕。
師匠・彦六は、早逝した息子・信男と同じ読みで子供の頃に父親を亡くしている好楽(当時・九蔵)を実の息子のように可愛いがっていたという〔。なお、彦六は好楽の3人の子の名付け親となっている〔128ページ。〕。
その反面、前座時代は三遊亭鳳楽(当時・楽松)・6代目三遊亭圓橘(当時・朝治)ら同期で飲んだくれては叱られていたようで、兄弟子5代目春風亭柳朝と一緒に師匠正蔵に謝ってもらったりと、その失敗談の数々を聞いた林家たい平曰く「よく破門にならなかったと思うくらい豪快」。実際のところは、行きつけのスナックで溜めたツケの請求を勝手に師匠に回したなどの理由で、本人曰く23回も破門されているというが、いつもしばらくすると済し崩し的に復帰が認められていたという〔『競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2010年11月号、pp.123 - 125。〕。
現在も酒豪で、新幹線乗車時間が1時間程度であっても、ビールを優に5本は買って乗車する〔林家たい平『笑点絵日記』ぴあ、2007年。〕。木久扇も著書にて「大の酒好き」、「なかなかの豪快な九州男児」と記している(※正確には好楽の両親が熊本出身(2009年1月5日に96歳で急逝した実母は、現在の菊池郡菊陽町の生まれで、笑点の大ファンであると公表している)であり、好楽自身は東池袋生まれ)。また、好楽一門は(自身も含めて)仕事前にも(後述の銭湯の後に)ビールを飲んでいる(普通、師匠と前座が一緒に酒を飲むことはない)。しかし、休肝日を作らなかったため、笑点メンバーで健康診断を受けた時には腸に7つもポリープができていた〔「あのニュースで得する人損する人」より。〕。
1971年11月に二つ目に昇進しているが、この時彦六(当時は8代目正蔵)に「女が出来たのか、その女と一緒になる気か」と聞かれ、「はい」と答えると「前座で祝言挙げるんじゃ格好がつくめぇ」と言われて二つ目に昇進させてもらうこととなったが、九蔵を二つ目にするためには香盤上他に10人も二つ目に昇進させる必要があった〔。〔『落語家面白名鑑』かんき出版、1982年、pp.97。なお現在圓楽一門会で同門の鳳楽・圓橘もこの時二つ目に昇進している〕。
笑点を降板した時期(1983年)、他番組も降板や番組終了で仕事が無くなり、収入は50万円から1万円を切るようになってしまい、妻の実家で暮らすようになり、笑顔も失っていた。しかし、妻は好楽の草野球の仲間を家に招き、家計は火の車でありながらも精一杯におもてなしをして好楽に笑顔を取り戻そうとしていた。妻の思いを受けた好楽は落語家としての活動を再開、笑点復帰と同時期に他番組の仕事も入ってくるようになった〔。
新幹線の発車1時間前にはホームに行く彦六(たい平著参照)と、笑点収録の集合時間の1時間半前には楽屋入りを済ませる5代目圓楽(『笑点諸国お笑い漫遊記』参照)と、せっかちな師匠2人についた好楽は、事前行動が早いようで、最年少メンバーで最初に楽屋入りするべきのたい平よりも収録に早く来てしまう。また、毎日の習慣で行っている好きな銭湯にもほぼ毎回開店前に来ている〔。ただし、前述の酒好きのため、九蔵時代と好楽になってから間もないころは、何度か寝過ごしては注意を受け、列車での車両基地入りも経験。妻は尾久駅尾久車両センター)の電話番号をメモして常に持つようになった〔110ページ。〕。
人付き合いが良く、他の落語家の弟子にも自分の弟子のように関わりあっている。また林家たい平曰く「(好楽師匠に)一回でも会うと親戚になる」とのこと〔。
2012年、自身の半生を振り返る「好楽日和。」を晶文社から上梓。2013年には自らの高座や若手(主に好楽の弟子)の育成を目的に、自宅を新築して寄席「池之端しのぶ亭」をオープンさせた。(後述)
6代目三遊亭円楽(旧名楽太郎)とは円楽襲名争いをしているという笑点でのネタが存在するが
白圓楽(円楽)などと呼ばれる、楽太郎が6代目円楽を襲名して腹黒キャラで黒円楽と呼ばれている
好楽は6代目円楽(楽太郎)の黒に対抗して白円楽と呼ばれる(暇でスケジュール帳が真っ白という意味もある)、5代目圓楽は顔長で馬と呼ばれていたので馬圓楽と呼ばれる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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