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林家たい平 : ミニ英和和英辞書
林家たい平[はやしや たいへい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

林家たい平 : ウィキペディア日本語版
林家たい平[はやしや たいへい]

林家 たい平(はやしや たいへい、1964年12月6日 - )は、埼玉県秩父市出身の落語家である。本名、田鹿 明(たじか あきら)。林家こん平の弟子。落語協会所属、所属事務所は株式会社オフィスビーワン。言霊群団「夢吽空」団員。血液型はB型。人気演芸番組『笑点』(日本テレビ系列)の大喜利メンバーである。
出囃子は『ぎっちょ』(「ドラ落語」の際は『ドラえもんのうた』)。定紋は『花菱』(「ドラ落語」の際は『鈴』)。芸名にちなんで手ぬぐいや色紙・著書などに、鯛の絵柄をよく用いる。
愛称は、「たいちゃん」。これは、師匠・こん平の愛称「こんちゃん」に由来する。
== 人物 ==
埼玉県立秩父高等学校を経て、1988年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後〔林家たい平『笑点絵日記』、ぴあ、2007年 ISBN 978-4-8356-1655-1〕〔大学の先輩に6代目柳家つば女がいる。〕、林家こん平に入門したという落語家としては異色の経歴を持つ。実家はかつてテイラーメイドの洋服店を営んでおり、現在は実母が駄菓子店「駄菓子屋たい平」を、実兄がうどん店「うどん亭たじか」を経営している。洋服店時代は店内において落語の寄席が催されたことがある。
「たい平」の名付け親は、師匠のこん平である。しかし当初の読みは「たいぺい」であった。こん平曰く「外国人にも語呂的に伝わりやすい」という理由だったが、大師匠初代三平の夫人・海老名香葉子の「"たいへい"の方が良いのでは」の鶴の一声に「たいへい」に決まる〔林家たい平『たいのおすそ分け』、主婦と生活社、2006年 ISBN 4-391-13315-6〕。なお、こん平は弟子入りをすぐ認めたわけではなく、大師匠林家三平の夫人・海老名香葉子の自宅で1年間の住み込み修行をさせた上で、正式に弟子入りを認めている。
生まれ故郷の秩父に愛郷心を抱いている。『笑点』(日本テレビ)でも時々挨拶の際に、秩父でのイベント情報などを盛り込んで秩父のことを紹介しており、毎年11月下旬には、正式なメンバーとなった2006年以降、7年続けて秩父夜祭を大々的にPRしている。2009年に俳優の藤原竜也、演歌歌手の冠二郎THE ALFEE桜井賢と共に秩父市の観光大使に任命されている。
『笑点』の大喜利では大月秩父代理戦争ネタを三遊亭小遊三と展開していたが、2010年6月6日大月市で行われた独演会まで大月を訪れたことはなかった。この独演会には、秩父市長・久喜邦康と小遊三と同窓の大月市長・石井由己雄が立ち会ったという。
落語家を目指すきっかけは、大学に入学した際にふと立ち寄った落研サークルが当時は廃部寸前だったため、何とかしなければと友人数名を集めて廃部を撤回させたことにある。落研サークルでの高座名は「遊々亭迷々丸(ゆうゆうてい めめまる)」。その当時は落語を観たことも聴いたこともなかったために漫才コントをやっていたが、後にたまたまラジオで流れていた人間国宝5代目柳家小さんの『粗忽長屋』を聴いて感動し、真剣に落語を始めた〔。また、武蔵野美大出身という学歴を活かし、著書や自身のCDの挿絵を自ら担当するなど画才でも知られる。また同じく絵を描くことで知られている林家木久扇の絵のアシスタントをしていたことがある。
2006年2月18日昼に放送された、深夜番組『歌スタ!!』(日本テレビ)のスペシャル版『ハンター全員出席! 各界うたいびとガチガチデビューSP』に出演。BEGINの『恋しくて』を歌い、ウタイビトハンターが合格を意味する“よろしく”の札を上げた。その後『笑点』の大喜利で、挨拶や答えの機会を利用して『歌スタ!!』での合格や出演、歌手デビューについて宣伝した。古典落語の『芝浜』にヒントを得た『芝浜ゆらゆら』(作曲・編曲:マシコタツロウ)でCDデビュー(2006年10月18日コロムビアミュージックエンタテインメントから発売)。2006年10月14日21日(再放送)放送の『BS笑点』(BS日テレ)では、たい平司会のコーナー「使ってみよう! 落語ことば」の時間を利用して1コーラス披露した。『笑点』の司会者・桂歌丸からはそれをネタにされ、「歌のCDはいいから落語のCD出しなよ」と言われているが、落語のCDはすでに複数リリースしている
『芝浜』の舞台設定などを現代風にアレンジした『SHIBAHAMA』という自作もあり、文化放送で『芝浜』のラジオドラマが制作された際にはアドバイザーを務めている。
お笑いコンビのTIMゴルゴ松本に少々似ている。それはたい平自身も自覚しているらしく、『笑いがいちばん』(NHK総合)で落語を披露した際、マクラの部分で、「ゴルゴ松本と思われた方……」(要約)といった話をしている。また、『笑点』では、「私は『命』じゃありません」と挨拶をした。
2006年10月に登場した日本テレビのマスコット「日テレちん」の声を担当している。
2007年4月から尚美学園大学総合政策学部ライフマネジメント学科の非常勤講師を、2010年4月から武蔵野美術大学(本人曰く「ムサビ」)の客員教授を務めている。
現在、『笑点』メンバーで唯一、落語家の直弟子を取っていないが、林家テリ平(テリー伊藤)、林家たいペー(林家ペー)がいるため、2008年には「たい平一門かい?」と称する独演会が開けるようになったが、「2人とも自分より年上でわがままなので、師匠である私の言うことをまったく聞いてくれない」とネタにしている。また、落語協会は彼らをたい平の弟子とは公認していない(番組内で、たい平曰く「芸能人特別枠」と称している。ペーは漫談家として登録、テリーは未加盟)。ほかに、テリー同様、『テリーとたい平のってけラジオ』で共演した正木あずみが2010年10月に三味線漫談家として弟子入りし、林家あずみの高座名を名乗っている。彼女は、落語協会が公認した初の直弟子(色物)として扱われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「林家たい平」の詳細全文を読む




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