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林家彦六 : ミニ英和和英辞書
林家彦六[はやしや ひころく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 
: [ろく]
  1. (num) six 

林家彦六 : ウィキペディア日本語版
林家彦六[はやしや ひころく]

林家 彦六(はやしや ひころく、1895年5月16日 - 1982年1月29日)は、落語家東京府下荏原郡品川町(現在の品川区)出身。生前は落語協会所属。本名は岡本 義(おかもと よし)。前名の林家正蔵としては8代目。俗に「彦六の正蔵」。
出囃子は『菖蒲浴衣(あやめ浴衣)』。噺家からは居住地の「稲荷町(の師匠)」また性格から「トンガリの正蔵」と呼ばれた。妻は岡本マキ。息子は日本舞踊家花柳衛彦。芝居噺や怪談噺を得意とし、「林家正蔵」の名を更に高めた。
== 経歴 ==

*1907年 尋常小学校卒業。
*1908年 質屋ホーロー工場木地屋等を丁稚奉公で転々とする。
*1912年 2代目三遊亭三福(後の3代目三遊亭圓遊)に入門し「福よし」を名乗る。
*1914年5月 師匠三福が「扇遊亭金三」に改名し「扇遊亭金八」に改名。
*1915年 この頃から大師匠4代目三遊亭圓生の弟弟子2代目三遊亭圓楽(後の三遊一朝)に稽古を付けて貰う様になる。
*1917年1月 師匠金三と共に4代目橘家圓蔵の内輪弟子となる。
*1918年2月 二つ目昇進し「橘家二三蔵」に改名。
*1919年4月 圓楽が「三遊一朝」に改名し、圓楽の名を譲られ二つ目のまま「3代目三遊亭圓楽」襲名。この頃は初代桂小南らの三遊分派に所属。
*1920年6月 真打昇進。結婚。
*1922年2月 師匠圓蔵死去に伴い、3代目柳家小さんの預かり弟子となる。その後3ヶ月程上方噺家2代目桂三木助の元で修行し『啞の釣』『莨の火』などを教わる。
*1925年9月 兄弟子初代柳家小はん、柳家小山三(後の5代目古今亭今輔)らと共に「落語革新派」を旗揚げする。
*1926年1月 落語革新派解散。
*1927年 東京落語協会(現落語協会)に復帰、兄弟子4代目蝶花楼馬楽(後の4代目柳家小さん)の内輪弟子になる。
*1928年4月 前師匠小さん引退に伴い、師匠馬楽が4代目柳家小さんを襲名し、馬楽の名を譲られ「5代目蝶花楼馬楽」襲名。
*1929年10月以降の世界恐慌による不景気の影響で、寄席も客が大幅に減る。馬楽は芝居の脚本の朗読会「とんがり会」を開いていた〔坊野寿山『粗忽長屋』創拓社〕。また、この頃、徳川夢声主催の「談譚集団」という漫談研究会に入り、木下華声らと漫談の修行をしていたこともあった〔木下華声『芸人紙風船』大陸書房〕。
*1950年4月22日 一代限りの条件で海老名家から正蔵の名跡を借り「8代目林家正蔵」を襲名する。
*1963年12月 第18回 文部省芸術祭(大衆芸能部門)奨励賞受賞。
*1965年 落語協会副会長就任。12月 第20回 文部省芸術祭(大衆芸能部門)奨励賞受賞。
*1968年11月3日 紫綬褒章受章。
*1968年12月 第23回 文化庁芸術祭(1部・大衆芸能部門)芸術祭賞受賞。
*1970年2月からの隔月(偶数月) 「芝居噺 林家正蔵の会」を、東京・岩波ホールにて開催(この模様の一部は、16mmフィルムで記録映画として撮影された)。
*1971年1月 日本テレビ演芸番組「笑点」師弟大喜利、鶴亀大喜利、演芸コーナーに出演。以降1981年まで不定期に出演。
*1972年4月 9代目桂文治6代目三遊亭圓生と共に落語協会顧問就任。
*1974年4月29日 勲四等瑞宝章受章。
*1976年 芸術選奨文部大臣賞受賞。
*1980年9月20日 林家三平死去。9月28日「正蔵」の名跡を海老名家に返上。正蔵として最後の口演は『旅の里扶持』である。
*1981年1月 「林家彦六」に改名。4月 昭和55年度第1回花王名人大賞功労賞受賞。11月7日日本橋たいめい軒で行われた一門会の『一眼国』が最後の高座となる。
*1982年1月29日 肺炎のため代々木病院にて死去。86歳没。叙・従五位、賜・銀杯一個(菊紋)。遺体は医学研究用に献体角膜アイバンクへ提供された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「林家彦六」の詳細全文を読む




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