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奥州工藤氏 : ミニ英和和英辞書
奥州工藤氏[おうしゅうくどうし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おく]
 【名詞】 1. interior 2. inner part 
奥州 : [おうしゅう]
 【名詞】 1. interior province 2. the interior 3. northern part of Japan
: [す, しゅう]
 (n) sandbank
: [たくみ]
  1. (n,adj-na) (1) workman 2. artisan 3. mechanic 4. carpenter 5. (2) craft 6. skill 7. (3) means 8. idea
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
藤氏 : [とうし]
 (n) Fujiwara family
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

奥州工藤氏 : ウィキペディア日本語版
奥州工藤氏[おうしゅうくどうし]
奥州工藤氏(おうしゅうくどうし)は、藤原南家乙麿流の流れを汲む伊豆工藤氏から分かれた工藤氏の一族。
== 概要 ==
伊豆工藤氏はその名の通り伊豆国を本拠にしていたが、奥州工藤氏の祖とされている工藤景任甲斐国に移り住み、同国巨摩郡を本拠としており、源頼朝に臣従した玄孫の工藤景光も当初は甲斐源氏安田義定と行動している〔今野慶信「藤原南家武智麿四男乙麻呂流鎌倉御家人の系図」峰岸純夫 他編『中世武家系図の史料論』上巻 高志書院、2007年 ISBN 978-4-86215-029-5〕。源頼朝による文治5年(1189年)の奥州合戦の際、工藤景光・行光父子は一家を挙げて従軍しそれぞれ軍功をたて、同年9月12日に工藤行光に対して岩手郡に所領を給されその地に代官を置いた。また、工藤景光の長男工藤行光を祖とする鎌倉御家人厨川工藤氏の末裔と称する諸士が岩手郡に広がり、戦国期まで各地に蟠踞していた。
伊豆工藤氏の子孫は全国に展開し、工藤祐経の長子祐時は伊豆を出て奥州に下向、祐時の次男祐先は三戸の名久井館に居住し、葛巻工藤氏の祖となったともあり、その子孫と伝えられる八戸工藤氏は、鎌倉期に北条氏被官として、得宗領糠部郡津軽郡地頭代に任じられた。
工藤氏は鎌倉幕府滅亡に際しては、幕府側と朝廷方に一族が分裂して多くは幕府方に付いて衰退したが、八戸郷の工藤孫四郎孫次郎経光のように一旦朝廷方につきながら日和見をしたために所領を没収された者もいる。
南北朝時代には岩手郡の工藤光家建武元年(1334年)に建武政権に反旗を翻し、南部信長に討たれている。そうした中で、工藤貞行の朝廷方としての活躍は目覚ましく、その勲功の賞として山辺郡田舎郡鼻和郡外浜などの所領を得て、これらは女加伊寺(南部信政妻)を通じて後に南部氏に伝領された。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「奥州工藤氏」の詳細全文を読む




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