翻訳と辞書
Words near each other
・ 奈賀野鉱山
・ 奈辺
・ 奈部川勉
・ 奈阿姫
・ 奈雲美徳
・ 奈須きのこ
・ 奈須伸也
・ 奈須崇
・ 奈須川充
・ 奈須川光宝
奈須広成
・ 奈須敬二
・ 奈須真司
・ 奉
・ 奉じる
・ 奉ずる
・ 奉る
・ 奉ソ協定
・ 奉ソ戦争
・ 奉仕


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

奈須広成 : ウィキペディア日本語版
奈須広成[なす の ひろなり]
奈須 広成(なす の ひろなり)は、766年に日本の陸奥国にいた人物である。姓(カバネ)は
== 解説 ==
直姓の奈須氏下野国那須郡を本拠とし、陸奥国白河郡でも郡司を務めた豪族である。益国の名が記された木簡は、陸奥国の国府があった多賀城跡で実施された第83次発掘調査で見つかった。場所はゴミ捨て用に掘られたと思われる穴の跡の中である〔『多賀城跡木簡』II、18頁。〕。
その木簡(第417号木簡)は幅広の板で、表には多数の人名が列挙されていたらしいが、墨が薄いせいで大伴部益国の名しか読めなかった。裏には「平神護」「奈須直広成」と見えた〔『多賀城跡木簡』II、66頁。〕。このうち「広成」だけが他の箇所と異なる筆跡で書かれており、部下が書いたものに広成が署名して正式なものにしたと思われる〔『多賀城跡木簡』II、67頁。図版編45頁。〕。また、「平神護」は「天平神護二年」と読めそうで、西暦ではおおよそ766年にあたる〔『多賀城跡木簡』II、66頁。〕。
文書の性格は不明だが、広成がかなりの責任ある地位にあったことは間違いない。陸奥国の奈須氏としては、承和15年(848年)に奈須赤竜が白河郡大領だったことが知られるが、広成がいた8世紀から既に郡領クラスの地位にあったと考えられる〔『多賀城跡木簡』II、67頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「奈須広成」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.