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大久保洋吉 : ミニ英和和英辞書
大久保洋吉[おおくぼ ようきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

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大久保洋吉 : ウィキペディア日本語版
大久保洋吉[おおくぼ ようきち]

大久保 洋吉(おおくぼ ようきち、1944年10月15日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師大久保末吉の長男として生まれ、早稲田大学理工学部卒業後、建築士を経て競馬界に入る。1976年に調教師免許を取得し、1990年代後半にGI競走5勝を挙げたメジロドーベルなど数々の活躍馬を管理した。2015年、定年により引退。東京都府中市出身。
== 経歴 ==
1944年、東京競馬場所属の騎手兼調教師・大久保末吉の長男として生まれる。幼少の頃から馬に親しみ、騎手になることを目標にしていたが、身体が大きくなり過ぎたために断念。私立明星中学校・高等学校を経て、早稲田大学理工学部建築学科に入学した〔木村(1997)585-586頁。〕。建築の道へ進んだ理由は、図面描きが好きであったことによる〔『優駿』2002年5月号、52頁。〕。
大学卒業後は建築士として前田建設工業に入社、八幡製鐵君津工場(現・新日本製鐵君津製鐵所火力発電所の工事などに携わった〔木村(1997)588頁。〕。その後、一級建築士資格も取得したが、父・末吉が高齢になっていたこと、また1964年にクラシック三冠を達成したシンザンの登場以来、競馬に対する世間のイメージ向上が進みつつあったことなどもあり、父を補佐するため1971年に前田建設工業を退社し、調教助手に転身した〔木村(1997)588-589頁。〕。
1976年に調教師免許を取得。半年開業を待った後、同年12月に管理馬初出走を迎えた。年を跨ぎ、翌1977年2月5日に初勝利を挙げ、当年12勝を挙げた。父・末吉がメジロムサシなど「メジロ」を冠名とする北野豊吉所有馬の管理を多数請け負っていたことから、洋吉は北野が創設したメジロ牧場からの預託馬を数多く手掛けた。1979年には初管理馬の1頭であるメジロファントム東京新聞杯に優勝し、管理馬の重賞初勝利を挙げた。同馬は1983年まで走り、目黒記念優勝のほか天皇賞有馬記念で計3度の2着など重賞戦線の名脇役として人気を博した。
1984年にはメジロジュピターメジロアンタレスで春秋の中山大障害を連覇するなど「メジロ」4頭で重賞勝利、年間では自身初の30勝を挙げ、関東の優秀調教師賞と重賞獲得調教師賞を受賞した。その後もコンスタントに重賞勝利を挙げ、年間では20勝前後の成績が続いた。1986年には、競馬キャスター・長岡一也の紹介で新進馬主の国本哲秀と知り合い、以後厩舎の主要顧客となった〔大塚(2003)25-26頁。〕。1992年に大久保の管理で初勝利を挙げたショウナングレイス(メジロファントムの又姪)は、国本の馬主業7年目での初勝利馬となった〔大塚(2003)29頁。〕。1994年には、競馬学校騎手課程を卒業した吉田豊を厩舎所属騎手として引き受け、以後吉田を主戦騎手とした。
1996年12月にメジロドーベル阪神3歳ステークスを制し、大久保は開業21年目、吉田はデビュー3年目でのGI競走初制覇を果たす。年間では37勝を挙げ、勝利度数ランキングで藤沢和雄に次ぐ全国2位に付けた。翌年には同馬で優駿牝馬(オークス)に優勝し、クラシック競走を初制覇。末吉が管理した曾祖母・メジロボサツが1966年のオークスで2着となっており、洋吉にとっては親子二代・31年越しの雪辱となった。当年は他に秋華賞制覇などを含む自己最高の40勝を挙げ、前年に次ぐ勝利度数2位(1位藤沢)を記録した。メジロドーベルは1999年の引退までにエリザベス女王杯2勝を加え、牝馬として当時最多のGI競走5勝を達成した。
以後大久保は関東所属調教師の上位に定着し、安定して30勝以上を記録していった。2002年にはショウナングレイスの産駒・ショウナンカンプ高松宮記念に優勝、2004年にはショウナンパントルで阪神ジュベナイルフィリーズを制した。メジロ、ショウナン以外の管理馬では、リージェントブラフで2002年の川崎記念オーロマイスターで2010年のマイルチャンピオンシップ南部杯を制している。
定年引退を翌年に控えた2014年にはショウナンラグーン青葉賞を制し、大久保にとって10年ぶりにして最後となる「競馬の祭典」東京優駿(日本ダービー)への出走権を得た。同馬はメジロドーベルの孫に当たり、大久保は「2戦で引退したおっかさん(メジロシャレード)の無念もあってリベンジの思いも強かった。一番うれしい勝利だ」と涙ながらに語った。本番では6着で、2004年ハイアーゲームでの3着が日本ダービーでの最高成績となった。
2015年2月28日付けで定年により調教師を引退。通算8990戦887勝(うち中央8921戦878勝)、GI競走10勝を含む重賞45勝。
調教師引退後は日刊スポーツで毎月1回「大久保洋吉元調教師 もの申す」を連載。また、テレビ東京などで放送されているウイニング競馬にゲスト解説という形で時々出演している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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