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大中臣能隆 : ミニ英和和英辞書
大中臣能隆[おおなかしんのうたかし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [よく, のう]
  1. (adv,n,vs) being skilled in 2. nicely 3. properly 4. well 5. skillfully 6. thoroughly

大中臣能隆 : ウィキペディア日本語版
大中臣能隆[おおなかしんのうたかし]

大中臣 能隆(おおなかとみ の よしたか)は平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿伊勢神宮祭主大中臣親隆の三男〔または次男(『公卿補任』)。〕。伊勢神宮祭主を28年にも亘って務め、朝廷幕府双方と良好な関係を築いた。
== 経歴 ==
仁安2年12月(1168年1月)外祖父の卜部兼友神祇権大副を辞した替わりに神祇少祐に任ぜられる。翌仁3年(1168年従五位下叙爵
治承2年(1178年)従五位上、治承3年(1179年正五位下と昇進し、寿永元年12月(1183年1月)神祇権少副に任ぜられる。さらに元暦元年(1184年従四位下に叙される。文治元年(1185年)父・親隆伊勢神宮祭主を辞退し、能隆がこれに任ぜられた。他に、大中臣公宣大中臣為定が職を求めたが勅断によって決着がついた。また、文治2年(1186年)には神祇権大副・大中臣親俊卒去したことを受け、能隆が権大副に任ぜられた。同年従四位上に昇叙。
文治5年(1189年正四位下に叙され、建久元年(1190年)神祇大副に転じる。建久9年(1198年)には従三位に叙され公卿に列した。承元4年(1210年正三位に進む。
建暦2年(1212年)11月祭主を辞任。建保4年(1216年)には神祇大副も辞任するが、建保5年12月(1218年1月)大副に再任。承久4年(1222年)には従二位・伊勢神宮祭主に叙任される。祭主で二位に叙されることは能隆が初であった。
寛喜元年(1229年)祭主の辞意を漏らし、寛喜2年(1230年)4月後任の具体的人選についての仗議が行われる。同月病のため祭主を長男・隆宗に譲って貞永元年(1232年出家天福2年(1234年)4月に薨去享年89。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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