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壺の碑 ( リダイレクト:つぼのいしぶみ ) : ウィキペディア日本語版
つぼのいしぶみ[いしぶみ]
つぼのいしぶみ(漢字表記では「壷の碑」)とは、坂上田村麻呂が大きな石の表面に、矢の矢尻で文字を書いたとされる石碑で、歌枕でもある。
== 概要 ==
12世紀末に編纂された『袖中抄』の19巻に「みちのくの奥につものいしぶみあり、日本のはてといへり。但、田村将軍征夷の時、弓のはずにて、石の面に日本の中央のよしをかきつけたれば、石文といふといへり。信家の侍従の申しは、石面ながさ四五丈計なるに文をゑり付けたり。其所をつぼと云也」とある。
「つぼのいしぶみ」のことは多くの歌人その他が和歌に詠った。すなわち、寂蓮法師藤原顕昭西行慈円懐円法師源頼朝藤原仲実和泉式部南部重信藤原清輔高山彦九郎近藤芳樹岩倉具視下沢保躬大塚甲山山内鶯崖大町桂月らがこの碑のことを詠っている。その内容はいずれも「遠くにあること」や「どこにあるか分からない」ということをテーマにしている。数多くの人がこの碑のことを詠ったため、有名な石であったが、どこにあるか不明であった。
多賀城碑は発見されてから、多くの人からつぼのいしぶみであるとされたが、古川古松軒菅江真澄南部藩の名所旧蹟を研究した「旧蹟遺聞」、喜田貞吉松井道円長久保赤水江刺恒久松浦武四郎はいずれも南部壺碑説を採っている。一方、大淀三千風水戸光圀林子平高野直重松尾芭蕉黒川道祐新井白石佐久間洞巌大巻秀詮は多賀城碑をつぼのいしぶみであるとした。橘南谿は両説を公平に扱い、碑文から多賀城碑を西のいしぶみであるとし、南部藩にあるものは「東の壺の碑」であるとした。そして、藤原清輔や西行の和歌は南部壺碑のことを詠っているものではないかとしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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