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堀江景用 : ミニ英和和英辞書
堀江景用[ほりえ かげもち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほり]
 【名詞】 1. moat 2. canal 
堀江 : [ほりえ]
 【名詞】 1. canal 
: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 
: [よう]
  1. (n,n-suf) task 2. business 3. use 

堀江景用 : ウィキペディア日本語版
堀江景用[ほりえ かげもち]
堀江 景用(ほりえ かげもち、生没年不詳)は、室町時代中期の武将。通称は七郎石見守堀江景経の子という。堀江景忠の父。弟に堀江景利堀江景道堀江景好
== 生涯 ==
景用は、堀江氏の庶家本庄堀江家細呂宜堀江家のいずれか)の出身である。
越前守護斯波義敏守護代甲斐常治が争った長禄合戦において、堀江惣領家(堀江石見家)の堀江利真は斯波方につき、長禄3年(1459年)に甲斐方の朝倉孝景(英林孝景)に討ち取られた。これによって断絶した惣領家を、庶家から堀江景用が継承することとなった。景用は孝景とともに甲斐方として戦った。以後、朝倉氏の国衆(外様)として活動し、文明6年(1474年)1月18日の杣山合戦で武功を上げたとされる(『朝倉始末記』)。
歌人としての才能もあったと伝えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堀江景用」の詳細全文を読む




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