翻訳と辞書
Words near each other
・ 国鉄マロネ37400形客車
・ 国鉄マロネ37480形客車
・ 国鉄マロネ40形客車
・ 国鉄マロネ41形客車
・ 国鉄マロネフ37550形客車
・ 国鉄マロネフ37560形客車
・ 国鉄マロネロ37600形客車
・ 国鉄ミ340形貨車
・ 国鉄ミ355形貨車
・ 国鉄ミキ1形貨車
国鉄ミキ20形貨車
・ 国鉄ミム30形貨車
・ 国鉄モカ2000形電気機関車
・ 国鉄モカ2000形電車
・ 国鉄モタ3000形電車
・ 国鉄モタ300形電車
・ 国鉄モニ13形電車
・ 国鉄モニ14形電車
・ 国鉄モニ3200形電車
・ 国鉄モニ3410形電車


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

国鉄ミキ20形貨車 : ミニ英和和英辞書
国鉄ミキ20形貨車[こくてつみき20がたかしゃ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くに]
 【名詞】 1. country 
国鉄 : [こくてつ]
 【名詞】 1. national railway 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
貨車 : [かしゃ]
 【名詞】 1. freight car 2. van 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

国鉄ミキ20形貨車 : ウィキペディア日本語版
国鉄ミキ20形貨車[こくてつみき20がたかしゃ]

国鉄ミキ20形貨車(こくてつミキ20がたかしゃ)は、鉄道省1930年昭和5年)に超特急「燕」を運行開始するに際して製造した、水30立方メートル(30トン)を積載可能な水槽車である。当初はペアを組むC51形蒸気機関車と同一番号として取り扱われていたため形式を持たず、転用後にミキ20形となった。
== 概要 ==
1930年昭和5年)10月からの超特急「燕」の運行開始にあたり最も深刻な問題となったのは、所要時間短縮のために実施する予定の東京 - 名古屋間ノンストップ運転〔実際には足柄越えの補機(沼津機関庫配置のD50形あるいはC53形を使用)を列車後部に連結するため、下りは国府津、上りは沼津で30秒だけ運転停車をするが、当然この時間では給水できない。なお、補機は上り勾配が終わった時点で走行中に開放される。〕に伴う機関車への水の補給であった。
運行開始時点での「燕」の牽引定数は換算28.5両、現車7両、つまり重量285tの比較的軽量の列車であり、各車の軸受が抵抗の大きな平軸受(プレーンメタルベアリング)で、かつ展望車〔車両不足から運転開始には間に合わず、翌1931年昭和6年)9月までは、一等寝台車を座席扱いのうえ代用した。〕や食堂車など3軸ボギー車を主体とする編成であることを考慮しても、牽引機としては実績のあるC51形〔当時すでに、より強力なC53形が就役していたが、バルブギア周りの設計不良による「起動不能」事故をたびたび起こしていたことから、線路容量に余裕の少ない東京周辺での本務機運用は見送られた。〕で必要充分であった。だが、そのC51形に連結されていた炭水車は12-17形と呼ばれる石炭12トン、水17立方メートルを積載可能なタイプであり、試運転の際、東京 - 名古屋間の炭水使用量等〔石炭6.7t、水40.5 程度必要であると見込まれた。〕〔『鉄道史料』第93号 p.51〕から、石炭についてはこれで充分であるものの、水については何らかの手段で不足を補う必要があることが判明した。
このため、当初は当時のイギリスなどの鉄道で実施されていたように、直線が続く区間で線路間にピットウォータートラフ)を掘って水を満たし、そこから走行中にすくい上げて給水する方法など、走行中の給水方法について様々な検討や実験が行われた。しかし、これらの前例のない方法を採るには巨額の設備投資を要し、かつ1930年10月ダイヤ改正時と決定された「燕」運行開始までに残された時間が少なく、準備が間に合わないことが危惧された。そのため、もっとも堅実な「炭水車の水搭載量の増量」で対処することが決定された。
しかし、石炭を8tから12t程度積載可能とし、かつ水を40m³ 以上、余裕を見て50m³ 積載可能な炭水車を連結するとなると、水容積から全長が長大なものとなり、当時標準の18m転車台に機関車が乗らなくなり、転向不可能となってしまうことは明らかであった。
そこで鉄道省は通常の炭水車〔但し炭水の所要量などを考慮し、本来の12-17形をC52形用の8-20形と振り替えてあった。〕〔とは別に、専用の水槽車を新規製作して炭水車の直後にこれを連結、そこから給水することでこの問題の解決を図ることとした〔正式運行に先立つ試験運行では本形式の製造が間に合わなかったため、通常の炭水車を増結する形で対応した。〕〔。
こうして1930年(昭和5年)に名古屋の日本車輌製造本店(日車)〔当時、機関車用炭水車を製造する鉄道省指定メーカーの一つであった。〕でペアを組むC51形と同番のC51 247 - 249として〔あくまで炭水車、つまり機関車の一部としての取り扱いであった。通常の貨車扱いとすると速度面での制約を受けるなどの支障があったためである。このため、本形式には当初、冒頭にも記した通り単独の形式称号および番号は存在せず、機関車本体と同一の砲金ナンバープレートが取り付けられていた。ただし、実際の運用では必ず同番の機関車と連結して使用されたわけではなく、必要に応じて別の機関車に連結して運用されたケースもあり、C53形に連結された姿も記録写真に残されている。〕〔『追憶の汽車電車』 p.23〕3両の30t級水槽車を製造し、「燕」の運用に充てることとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「国鉄ミキ20形貨車」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.