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因幡国造浄成女 : ミニ英和和英辞書
因幡国造浄成女[いなばのくにのみやつこきよなりめ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いん]
 【名詞】 1. cause 2. factor 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [じょ]
 【名詞】 1. woman 2. girl 3. daughter

因幡国造浄成女 : ウィキペディア日本語版
因幡国造浄成女[いなばのくにのみやつこきよなりめ]
因幡国造浄成女(いなばのくにのみやつこきよなりめ、? - 延暦15年(796年10月15日)は、奈良時代から平安時代初頭にかけての女性。
== 経歴 ==
因幡国造氏の一族で、因幡国高草郡の出身。時期は不明だが、朝廷釆女として貢上され、山部王(山部親王、後の桓武天皇)に仕えた。
山部王の寵愛を受けた浄成女は、地方豪族出身者としては異例の昇進を遂げた。宝亀2年(771年正月正六位上から従五位下に叙せられ、同年2月には同族の者数名と共に因幡国造姓を賜った。また、同年12月には因幡国造(令制国造)に任ぜられた。山部親王の即位後も引き続きその寵愛を受け、延暦4年(785年)正月には従四位上に叙せられ、延暦13年(794年)7月にはに屋敷を造営するため稲が与えられた。
寵愛を一身に受けた浄成女は、桓武天皇をはじめ周囲からも皇子女の誕生を期待されていたが、延暦15年(796年)10月15日、遂に産むことはなく死去した。最終的な官位正四位上という顕位にまで叙せられている。一方、因幡国造一族はこれを背景に着実に勢力を増していき、寛弘4年(1007年)の因幡千里(千兼)殺害による勢力の衰退まで権勢を振るったとされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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