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周布兼翼 : ミニ英和和英辞書
周布兼翼[すふ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しゅう]
 【名詞】 1. circuit 2. lap 3. circumference 4. vicinity 5. Chou (dynasty)
: [ぬの]
 【名詞】 1. cloth 
: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 

周布兼翼 ( リダイレクト:周布政之助 ) : ウィキペディア日本語版
周布政之助[すふ まさのすけ]
周布 政之助(すふ まさのすけ、文政6年3月23日1823年5月3日) - 元治元年9月26日1864年10月26日))は、幕末長州藩士。政之助は通称であり、兼翼(かねすけ)という。また、変名に麻田公輔、松岡敬助などがある。
== 略歴 ==
周布氏益田氏の支流にあたり、近世以降は代々長州藩毛利家に仕えた家柄である。
政之助(兼翼)もこの一族の出身者であり、文政6年(1823年)、長州藩士(大組219石)・周布吉左衛門兼正村田伝左衛門信嘉の娘竹の五男として生まれる。父と長兄が相次いで歿したことによる末期養子であったため、家禄を68石に減ぜられ、わずか生後6ヵ月で家督を相続した。
来原良蔵松島剛蔵らと嚶鳴社を結成して政治を論じたが、弾圧されることなく、弘化4年(1847年)に祐筆・椋梨藤太の添役として抜擢された。政之助は天保の藩政改革を行った家老村田清風の影響を受けており、この抜擢は村田の政敵である坪井九右衛門派の椋梨との連立政権を意味していた。財政再建や軍制改革、殖産興業等の藩政改革に尽力し、また桂小五郎高杉晋作吉田松陰の門下を中枢に登用したが相州防備の藩財政の悪化により失脚。しかし政権を握った坪井派が京都と長州の交易を推進したことが藩内の会所において疑心暗鬼をうみサボタージュが発生して失敗したことで再び藩政に復帰。文久2年(1862年)頃に藩論の主流となった長井雅楽航海遠略策に藩の経済政策の責任者として同意したが久坂玄瑞松下村塾の藩士らに説得され藩論統一のために攘夷を唱えた。守旧派に抗し藩政改革の起爆剤とする意図があったとされるが、ここにおいて村田派と坪井派の禅譲は終わった。
元治元年(1864年)、高杉晋作とともに長州藩士の暴発を抑えようとしたが失敗、その結果起こった禁門の変第一次長州征伐に際しても事態の収拾に奔走したが、次第に椋梨ら反対派に実権を奪われることとなった。同年9月、責任を感じて山口矢原(現・山口市幸町)の庄屋吉富藤兵衛邸にて切腹した。享年42。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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