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吉村大志郎 : ミニ英和和英辞書
吉村大志郎[よしむら だいしろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むら]
 【名詞】 1. village 
大志 : [たいし]
 【名詞】 1. ambition 2. aspiration
: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 

吉村大志郎 : ウィキペディア日本語版
吉村大志郎[よしむら だいしろう]

吉村 大志郎(よしむら だいしろう、1947年8月16日 - 2003年11月1日)は、ブラジルサンパウロ州出身のサッカー選手、サッカー指導者。帰化前の氏名はネルソン吉村。愛称のネコとはボールタッチの柔らかさがネコがボールとじゃれ合う姿に似ていたことに由来している

== 略歴 ==
日系2世としてサンパウロ州に生まれる〔。16歳の時にサンパウロの中心街に引越し、働きながら夜間高校に通い、休日に日系人のクラブでプレーする日々を送っていた〔加部究「先駆者 -- ネルソン吉村」『サッカー移民』(双葉社、2003年)31-48頁〕。しかし1966年のAUSP(日系2世連合会)サッカーリーグで優勝、自身も得点王となったことで転機が訪れ、AUSPの会長の紹介で1967年6月に日本サッカーリーグ初の外国籍選手としてヤンマーディーゼルサッカー部に加入することになった。
吉村はヤンマーディーゼルの現地子会社ヤンマーディーゼル・モトーレス・ド・ブラジル(Yanmar Diesel Motores do Brasil)に旋盤工として勤務していたため、日本のヤンマーディーゼル本社への転勤という形での移籍だった。一方で吉村は「自分は冷蔵庫の修理会社に勤務していた」と現地子会社に勤務していたという経歴について否定するコメントを残している〔。ブラジル時代は俊足FWとして得点を重ねていたが、選手の技術水準が低かったというチーム事情から中盤にポジションを移し〔、同年4月に加入していたセンターフォワードの釜本邦茂とコンビでヤンマーを常勝クラブへと引き上げていった。
後に訪日したセルジオ越後ほどのキャリアはなかったが、柔らかいボールタッチを生かしたボールテクニックは当時の日本では出色であった〔。吉村のプレーは日本サッカーリーグの呼び物となり、その後の日本サッカーがブラジルスタイルの個人技を重視したサッカーに傾倒していく転機となった〔〔。
訪日当初は「1年間で帰国するつもり」だったが1970年12月に日本に帰化し名前を「吉村大志郎」に改めると日本代表に選出され、1976年までの間に国際Aマッチ通算45試合出場7得点を記録した。その後、怪我の影響とコーチ就任の要請を受けたこともあり32歳で現役を引退した。日本リーグでの通算成績は189試合出場30得点54アシスト〔。
1980年に現役を引退後は古巣のヤンマーディーゼルのコーチを10年間務め、1990年に監督に昇格し1993年まで指揮を執った。同年にJリーグが開幕すると他チームから好条件のオファーを受けたが〔、これを固辞してヤンマーディーゼルの社員という身分で〔後継であるセレッソ大阪のスクールコーチや総括部スカウトとして後進の指導に務めた。
2003年11月1日、兵庫県尼崎市の病院で脳出血により死去した〔。
2010年8月17日日本サッカー殿堂入りが発表された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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