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可朱渾元 : ミニ英和和英辞書
可朱渾元[かしゅこん げん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [か]
  1. (n,n-suf) passable 
: [しゅ, あけ]
 【名詞】 1. (1) scarlet 2. red 3. (2) bloody 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

可朱渾元 : ウィキペディア日本語版
可朱渾元[かしゅこん げん]
可朱渾 元(かしゅこん げん、生年不詳 - 559年頃)は、中国北魏末から北斉にかけての軍人は道元。本貫太安郡狄那県
== 経歴 ==
北魏の朔州刺史の可朱渾買奴の子。可朱渾氏は代々渠帥をつとめた家柄で、北魏に帰順し、曾祖父の可朱渾護野肱が懐朔鎮将となった以降は懐朔鎮に住んだ。可朱渾元は武略に長け、若いころから高歓と交友した。六鎮の乱が起こると、家族とともに定州に移ろうとしたが、鮮于修礼の乱に参加することとなった。葛栄が鮮于修礼の部衆を吸収すると、可朱渾元を梁王とした。可朱渾元は爾朱栄のもとに逃れて別将となり、爾朱天光の下で万俟醜奴らと戦い、功績により東県伯に封じられ、渭州刺史となった。
534年侯莫陳悦賀抜岳を殺害すると、宇文泰が賀抜岳の部衆を引き継いで侯莫陳悦を攻撃した。可朱渾元はこのとき侯莫陳悦を援助したが、侯莫陳悦が敗走すると、可朱渾元は秦州で宇文泰の包囲を受け、ひとたび屈服した。可朱渾元は早くから高歓の知遇をえており、母や兄たちも関東にいたので、高歓に帰順しようとひそかに使者を往来させていた。535年、宇文泰は可朱渾元が二心を抱いていることを察知して、兵を出して攻撃した。可朱渾元は部衆を率いて渭州を発し、西北の烏蘭津を渡河して宇文泰の出鼻をくじき、河州源州の境を越えて東方に出た。霊州劉豊の助けを借りて、霊州から東北に出て雲州に入った。高歓は平陽郡守の高嵩に可朱渾元を迎えさせ、可朱渾元が晋陽に到着すると、手を取って引見した。可朱渾元は元県公に封ぜられ、車騎大将軍に任じられた。
可朱渾元は西魏の儀同の金祚・皇甫智達を東雍で攻撃して捕らえ、并州刺史に転じた。諸将とともに征戦に参加して、しばしば戦勝した。547年司空に上った。550年、北斉が建国されると、扶風王に封じられた。文宣帝に従って山胡柔然を攻撃し、戦功を重ねた。554年大将軍となり、557年太傅に上り、558年太師に転じた。後に死去した。仮黄鉞・太宰・録尚書の位を追贈された。
弟に可朱渾天元・可朱渾天和があり、子に可朱渾長挙(字は孝裕)・可朱渾長威があった。可朱渾長挙が扶風王位を継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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