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古谷久綱 : ミニ英和和英辞書
古谷久綱[ふるや ひさつな]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand

古谷久綱 : ウィキペディア日本語版
古谷久綱[ふるや ひさつな]

古谷 久綱(ふるや ひさつな、明治7年(1874年6月17日 - 大正8年(1919年2月12日〔『官報』第1958号、大正8年2月14日。〕)は、日本の官僚、政治家。衆議院議員立憲政友会)。伊藤博文の秘書官を長く務めた。
== 経歴 ==
愛媛県東宇和郡明間村(現在の西予市)出身。明治26年(1893年)、同志社を卒業した。日清戦争の際には、国民新聞記者として第2軍司令部に従軍した。明治32年(1899年)、ブリュッセル自由大学に論文を提出し、博士号を得た。
明治33年(1900年)、帝室制度調査局事務嘱託・東京高等商業学校(現在の一橋大学)教授となったが、帝室制度調査局総裁伊藤博文の目に留まり、同年に伊藤が内閣総理大臣に就任すると、総理大臣秘書官に起用された〔『官報』第5194号、明治33年10月23日。〕。翌明治34年(1901年)に第4次伊藤内閣が総辞職すると帝室制度調査局秘書に転じた。
その後も伊藤が明治38年(1905年)に韓国統監に就任すると、統監秘書官、ついで統監府総務部秘書課長に任じられた〔『官報』第7153号、明治40年5月7日。〕。さらに伊藤が明治42年(1909年)に枢密院議長に就任すると、議長秘書官・宮内省式部官に任命された〔『官報』第7821号、明治42年7月21日。〕。
伊藤の死の翌年の明治43年(1910年)に枢密院議長秘書官を辞して、李王職御用掛に転じ、大正4年(1915年)まで務めた〔『官報』第757号、大正4年2月12日。〕。同年の第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。大正6年(1917年)の第13回衆議院議員総選挙にも当選した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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