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古谷三敏 : ミニ英和和英辞書
古谷三敏[ふるや みつとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
: [み]
  1. (num) three 

古谷三敏 : ウィキペディア日本語版
古谷三敏[ふるや みつとし]

古谷 三敏(ふるや みつとし、1936年8月11日〔 - )は、日本漫画家満州大連生まれ、茨城県鹿島郡神栖町(2005年に合併で神栖市に)出身〔。薀蓄を多く含んだ漫画を得意とする。
== 経歴・人物 ==
1955年、『みかんの花咲く丘』(島村出版)でデビュー〔。1958年手塚治虫のアシスタントになり、1961年に一度独立して月刊『少女』(光文社)等に連載を持つ。1963年に編集者の推薦により赤塚不二夫アシスタントになる。
1965年に赤塚不二夫が設立したフジオ・プロダクションに参加。フジオプロ在籍時代はアイディアスタッフのメインとして『おそ松くん』『天才バカボン』など赤塚作品に多く関わっていたほか、並行して少女誌を中心に自作も手掛け、1970年から『週刊少年サンデー』に連載した『ダメおやじ』のヒットで、少年誌向けギャグ漫画家として人気を博し、同作で第24回(1978年小学館漫画賞を受賞した。当時はフジオプロの大黒柱とまで呼ばれた。
その後、フジオプロから独立し、1974年9月に芳谷圭児とともに『ファミリー企画』を設立。以後は青年誌を中心に活動を続け、薀蓄を交え、サラリーマンのユーモラスな日常生活を描いた「減点パパ」を始め、酒の世界と人間ドラマを織り込んだ「BARレモン・ハート」、落語と噺家の人生を描いた「寄席芸人伝」など数多くの作品を世に送り出している。
1975年から現在まで毎日新聞「日曜くらぶ」に「ぐうたらママ」を連載し約40年の長期連載となっている。
漫画家以外の活動では、日本テレビおはよう!こどもショー』内でイラスト講座を担当したことがある。
大泉学園駅にて漫画と同名の「BARレモンハート」の経営者でもある。阿佐ヶ谷でも「Beer Bar レモンハート」を経営し孫が勤めていたが閉店、その孫は現在「BARレモンハート」のチーフバーテンダーとなっている。その孫はゴールデンボンバーに所属していた事もある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「古谷三敏」の詳細全文を読む




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