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古河宿 : ミニ英和和英辞書
古河宿[こがしゅく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
古河 : [ふるかわ]
 (n) old river
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
宿 : [やど]
 【名詞】 1. inn 2. lodging 

古河宿 : ウィキペディア日本語版
古河宿[こがしゅく]
古河宿(こがしゅく、こがじゅく)は、江戸時代日光街道(日光道中)の宿場下総国古河城下に設けられ、現在は茨城県古河市中央町・本町・横山町に相当する。日光街道江戸日本橋から数えて9番目の宿場である。
ここでは城下町としての古河についても解説する。
== 概要 ==
江戸時代の全期を通じて、古河藩が管理していた古河三宿(中田・古河・野木)の一つである。天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、本陣脇本陣は1軒ずつ設けられ、旅籠が31軒(大5,中6,小20)あった。宿内の家数は1,105軒、人口は3,865人であった。将軍家による日光社参では、古河城は岩槻城宇都宮城と並び、将軍の宿城とされており、日光街道における主要な宿場の一つであった。日光社参のときには、従者の数が膨大になるため、通常の宿泊施設だけでは足りずに、城下の武家屋敷や町屋も割り当てられた。宿場は日光街道沿いの台町・一丁目・二丁目・横町(現在の本町・中央町・横山町の一部)にあったが、渡良瀬川等による河川交通も発達していたことから、古河の町は日光街道から河岸へ向けて折れ曲がった石町・江戸町等にも広がり、T字型に形成されていた。大名が宿泊する本陣は時期により異なるが、最もよく知られているのは二丁目にあったもので、現在、跡地には「本陣跡碑」がある。脇本陣も二丁目にあった。〔『古河市史 通史編』 309 – 314 頁(古河の三宿)〕 〔『古河市史 民俗編』 446 – 456 頁(道・旅・宿)〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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