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十市遠勝 : ミニ英和和英辞書
十市遠勝[とおち とおいち とおかつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 
: [し]
  1. (n-suf) city 
: [とお]
  1. (adj-no) distant 

十市遠勝 : ウィキペディア日本語版
十市遠勝[とおち とおいち とおかつ]

十市 遠勝(とおち・とおいち とおかつ、生年不詳 - 永禄12年10月24日1569年12月2日))は、戦国時代末期の武将。十市遠忠の子。大和国龍王山城主。初名は新二郎。後に十市遠成と改める。
== 略歴 ==
十市氏は大和国十市郡を領したことから始まる。祖に関しては諸説あり、明確なものはない。
天文14年(1545年)、父・遠忠が亡くなると家督を継いだが若年ということもあって、父の代から争っていた筒井氏の侵入を許した。天文15年(1546年)8月20日、十市衆を率い、竹内城を攻めて敗れ、吉野に落ち、その与党も柳本に退いた。
永禄2年(1559年)、三好長慶の重臣・松永久秀が大和国に侵攻。松永方に対して多武峰などの要所で抵抗戦を展開した。
永禄5年(1562年)、畠山高政に属して三好実休を攻略し、和泉国久米田で破って(久米田の戦い高屋城を奪取した。同年5月、畠山方として教興寺の戦いに参戦するが敗れて湯川直光らが討死している。松永方に抵抗していたが、ついに松永方に降り、娘のおなへ(御料)と重臣・大木重介の子息を人質として多聞山城に送り、からくもその旧領を維持する。
永禄10年(1567年)10月10日、東大寺大仏殿の戦いを切っ掛けに三好三人衆と松永久秀が対立し、遠勝は三好方となったため、家中が内部分裂する。
永禄11年(1568年)2月20日、秋山直国森屋城を攻略。3月12日、今井河合清長の居宅で三好三人衆の三好長逸篠原長房と誓紙を取り交わす。しかし8月27日、松永久秀に通じた秋山氏の反撃を許して龍王山城から十市城へ退去した。9月、箸尾氏も松永に組し、秋山と策応して十市領の蚕食を企てた。10月に入って、松永久秀は織田信長の援軍2000人を得、ますます攻略にあたった。筒井・十市の連合軍は諸城を連ねてこれに対抗したが、一城また一城と相次いで落とされ、11月には十市衆の守った大西城も、秋山勢を先鋒とする松永久通に降った。十市家にその者ありと知られた森本主水介・中井才三郎などが討ち死にしたのはこの時である。遠勝も遂にその勢いに対抗し切れず、再度久秀に内応するに至った。
永禄12年(1569年)10月24日、病死。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「十市遠勝」の詳細全文を読む




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