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北野元 : ミニ英和和英辞書
北野元[きたの もと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

北野元 : ウィキペディア日本語版
北野元[きたの もと]
北野 元(きたの もと、1941年1月1日 - )は、元ホンダワークス所属のライダー、元レーシングドライバー京都府京都市出身。
かつて高橋国光黒澤元治と共に日産自動車追浜ワークスの三羽ガラスと呼ばれた。
2007年11月現在、二輪用のタイヤを扱うタイヤショップウルフ・モトを経営。ツインリンクもてぎ内の博物館ホンダコレクションホールに動態保存されている多くの2輪・4輪のレース用マシンを、イベントなどで走らせるドライバー役も務める。愛称キタさん(北さん)。血液型O型。
== 経歴 ==

=== 2輪ライダー時代 ===
1959年4月に大阪の信太山で開催された「第1回全日本モトクロス競技大会」でデビューし、オープンレースでいきなりの優勝を飾る。
同年8月の第2回全日本クラブマンレース(アマチュアが対象)に出場。一般市販車のホンダ・ベンリィスーパースポーツCB92で125ccクラスに、市販レーサーであるドリームスーパースポーツCR71で250ccクラスに出場し、両クラスで優勝する。同レースと併催だった第3回浅間火山レース(ワークスチームが対象)125ccクラスにも招待され、市販マシンCB92でホンダのワークス勢を抑えての優勝を果たす(1レースで3勝)。浅間火山レースの250ccクラスにも招待されていたが、このレースには出走していない。125ccに続き250ccクラスでもホンダワークスが負けては困ると、ホンダから北野に対し出場を控えるよう要請があったのではないか、という説もある〔北野は「250ccにも出たかったが止められた」と証言している。「オールドタイマー」 2014年10月号〕(CR71は名目上は市販車だが、事実上ホンダ系チームだけに貸与されていた)。
これらの活躍で一躍注目の的となり、高橋国光伊藤史朗と並び、若き天才ライダーと呼ばれた。
1960年にホンダワークスに加入(高橋国光もほぼ同時に加入)。わずか19歳で世界最高峰の難レースと言われたマン島TTレースに出場したのを始め、世界グランプリ(GP)レースに出場し活躍することになる。
1961年初めのデイトナスピードウィーク・US(アメリカ)GP(世界GPではないノンタイトル戦)250ccクラスで、マイク・ヘイルウッドモンディアル)や伊藤史朗(ヤマハ)などの強豪を破り独走優勝。世界GP戦ではないものの、これは日本の選手および自動車(2輪4輪)メーカーにとって海外ビッグレース初優勝だった。
ただし同じ1961年のマン島TTの練習時〔高橋国光と共にコースの下見中だったという。「オールドタイマー」 2014年10月号〕に転倒し重傷を負ってしまい、同年の大半を治療等に費やす結果になった。以後、この事故による重い後遺症を抱えた状態でレース活動を行うことになった〔頭部を強打した結果、視覚に異常をきたし物が二重に見えるようになってしまったという。左コーナーはいいが、右コーナーが見えにくいという。「日本の名レース100選」040、「オールドタイマー」 2014年10月号〕。
その後もホンダワークスライダーとして世界GPに出場するが、目立った成績は残していない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北野元」の詳細全文を読む




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