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北畠政具 : ミニ英和和英辞書
北畠政具[きたばたけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [はたけ]
 【名詞】 1. plowed (cultivated) field (ploughed) 2. kitchen garden 3. plantation
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [ぐ]
  1. (n,n-suf) tool 2. means 3. ingredients 4. counter for armor, suits, sets of furniture (armour) 

北畠政具 ( リダイレクト:北畠政郷 ) : ウィキペディア日本語版
北畠政郷[きたばたけ まささと]

北畠 政郷(きたばたけ まささと)は、室町時代中期の武将公家伊勢国司北畠家第5代当主。居所は多気御所
== 生涯 ==
元服に際して、室町幕府第8代将軍足利義政より偏諱を与えられ、政具(まさとも)と名乗る。
文明3年(1471年)父・北畠教具の死後、家督を相続し北畠家当主となる。を政具から政郷(まささと)に改めたのもこの頃とされる。
元々南朝方だった北畠家は、室町幕府と和解して後も、伊勢国司の他、大和国宇陀郡分郡守護に任ぜられる、畿内でも独特な存在であった。幕府の勢力圏である北伊勢には当初は幕府側の守護が置かれたが、北畠家との和解後は北畠家が守護に任ぜられることが多かった。
政郷は家督を継ぐと同時に守護にも任命され、北伊勢進出への大義名分としていたが、文明11年(1479年)新たに一色義春が守護に任命されると、北伊勢の雄である安濃郡国人長野氏長野政高ら諸豪と北畠家との抗争が再燃した。政郷はしばしば北伊勢への進出を図ったが大敗し、文明12年(1480年)に和解を余儀なくされた。この年に政郷から政勝(まさかつ)に改名した。
文明18年(1486年)に出家して無外逸方と号し、家督を嫡男・具方(ともかた、のち材親)に譲ったといわれる。未だ40代半ばであったという。
政郷の代に宇治山田合戦が再発すると、文明18年(1486年)頃に介入したという記録がある。明応4年(1495年)に発生した、北畠材親と北畠師茂との内紛の際には、師茂の側を支援していたとも言われる。
生没年ははっきりしないが、一説には永正5年(1508年)11月4日〔『諸家伝』〕または12月4日に多芸にて没したという。享年60とも、62とも言われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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