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北畠具親 : ミニ英和和英辞書
北畠具親[きたばたけ ともちか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [はたけ]
 【名詞】 1. plowed (cultivated) field (ploughed) 2. kitchen garden 3. plantation
: [ぐ]
  1. (n,n-suf) tool 2. means 3. ingredients 4. counter for armor, suits, sets of furniture (armour) 

北畠具親 : ウィキペディア日本語版
北畠具親[きたばたけ ともちか]
北畠 具親(きたばたけ ともちか、生年未詳〔阿部『戦国人名事典コンパクト版』、P278〕 - 天正14年6月9日1586年7月25日))は、戦国時代武将北畠具教の実弟である〔。宮内少輔〔。
== 略歴 ==
伊勢国司の北畠家第7代当主・北畠晴具の3男〔として生まれた。長兄に具教がいたため、はじめ僧侶となって奈良興福寺東門院院主の地位〔にあった。
天正4年(1576年)11月に兄が織田信長信雄父子に三瀬の変によって殺害されると伊賀に潜入し〔、還俗して伊勢に戻り、伊勢南部の北畠家の旧臣をかき集めて天正5年(1577年)に三瀬谷・河俣谷・多気・小倭衆らの在地武士と飯高郡森城で挙兵に及んだが、織田信雄によって鎮圧・落城した〔。このため、安芸毛利輝元を頼って備後に落ち延びた〔。
天正10年(1582年)6月、信長が本能寺の変で死去すると、伊勢に戻って安保直親らと共に伊勢五箇篠山城で再挙。しかし、津川義冬率いる織田信雄軍に再び敗れ、伊賀に落ちたという。天正12年(1584年)蒲生氏郷の伊勢入封後は蒲生氏のもとに客臣として迎えられるが、2年後に病没している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北畠具親」の詳細全文を読む




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