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勝坂式 : ミニ英和和英辞書
勝坂式[かつさかしき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さか]
 【名詞】 1. slope 2. hill 
: [しき]
  1. (n,n-suf) (1) equation 2. formula 3. expression 4. (2) ceremony 5. (3) style 

勝坂式 : ウィキペディア日本語版
勝坂式[かつさかしき]
勝坂式(かつさかしき)または勝坂式土器(-どき)とは、関東地方及び中部地方の縄文時代中期前半の土器型式名ないし様式名である。
勝坂式は、隆帯で楕円形を繰り返す文様など通時的な変化を追えるものもあるが、器全体を豪壮、雄大な造形で表現することに特色があり、動物、人物などの顔面把手、蛇を模した把手などがつけられる土器は特徴的である。また、水煙式と呼ばれる中部山岳地方の土器は、勝坂式の終末に出現する。
==研究史概要==
勝坂式土器は、器壁が厚いことから鳥居龍蔵によって縄文時代後期の堀之内式などに代表される薄手式に対して厚手式と呼ばれる土器群の代表的なものであった。1926年大山柏率いる大山史前学研究所が現在の神奈川県相模原市南区磯部の勝坂遺跡発掘調査によって検出された土器群について、山内清男が1928年に著した『下総上本郷貝塚』で、諸磯式加曾利E式の間に位置づけ、『縄文土器の細別と大別』(1937年)で中期初頭の五領ヶ台式と中期後半の加曾利E式の間に「勝坂式」として位置付けた。
一方、長野県八ヶ岳山麓で、井戸尻遺跡をはじめとする縄文時代中期の集落の発掘調査を行い、住居跡の良好な一括資料と住居跡の切り合い関係から、藤森栄一らは、貉沢(むじなざわ)式、新道(あらみち)式、藤内式I、II式、井戸尻I、II、III式の編年1965年に『井戸尻』にて提唱した。藤森による編年は、型式的な内容を把握した完成度の高いものであったことから、1969年に安孫子昭二によって著された多摩ニュータウンNo.49遺跡の報告書で使われるなど次第に普及していった。1980年代に関東地方の発掘調査事例の増加に伴い、藤内式を勝坂2式、井戸尻式を勝坂3式と対応させる編年が提案されたり、細分化されたりなど修正を加えられつつも現在まで編年の基本的な図式として継承され続けている。つまり、勝坂式は事実上古い順から、藤森編年における標式遺跡の名称である貉沢、新道、藤内、井戸尻を冠して呼称され、それぞれ勝坂1式古相、同新相、勝坂2式、勝坂3式に対応される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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