翻訳と辞書
Words near each other
・ 加悦SL広場
・ 加悦フェローライン
・ 加悦双峰公園
・ 加悦岩滝自転車道線
・ 加悦椿文化資料館
・ 加悦町
・ 加悦谷
・ 加悦谷盆地
・ 加悦谷高校
・ 加悦谷高等学校
加悦鉄道
・ 加悦鉄道1260形蒸気機関車
・ 加悦鉄道トム51形貨車
・ 加悦鉄道資料館
・ 加悦駅
・ 加成性
・ 加我君孝
・ 加戸佑香利
・ 加戸守行
・ 加戸敏


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

加悦鉄道 : ミニ英和和英辞書
加悦鉄道[かやてつどう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [か]
 【名詞】 1. addition 2. increase 
: [えつ]
 【名詞】 1. self-satisfaction 2. rejoicing
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 

加悦鉄道 ( リダイレクト:加悦鉄道(かやてつどう)は京都府与謝郡野田川町(現・与謝野町)の丹後山田駅(現・京都丹後鉄道宮津線与謝野駅)から、同郡加悦町(現・与謝野町)の加悦駅までを結んでいた私鉄である。1985年(昭和60年)5月1日に全線が廃止された。日本冶金工業のグループ企業である。鉄道路線の廃止後も運営会社はカヤ興産と改称して存続していたが、2011年(平成23年)4月1日に宮津港運と合併し、宮津海陸運輸となっている。Wikipedia:リダイレクト#穏当な転送を行うによるものです。-->== 概要 ==丹後山田駅と南西部の加悦町を結んでいた路線で、当初は沿線の特産品である丹後ちりめんを京阪神地区に輸送することを主目的として開業し、旅客営業も行った。その後、加悦駅の南西にある大江山でニッケルの採掘が開始されたため、1940年(昭和15年)に大江山ニッケル鉱山への貨物専用線 が開業し、1942年(昭和17年)には丹後山田駅から北東の岩滝町にある精錬所(日本冶金工業大江山製造所)への専用線『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和18年4月1日現在』 (国立国会図書館デジタルコレクション) も開通した。戦後、大江山でのニッケル採掘が中止されたため加悦 - 大江山間の専用線は撤去(ただし、法的には加悦鉄道廃止まで廃止手続きは取られていない)されたが、岩滝工場への専用線は同工場で精錬する輸入ニッケル鉱を輸送するため存続した。モータリゼーションの進行により旅客輸送量が減少する一方、明治・大正時代に製造された古典蒸気機関車をはじめ、「マッチ箱」と呼ばれる木造2軸客車、国鉄から購入した客車改造のキハ08形気動車など希少車・珍車の宝庫として知られ、多くのファンを集めた。会社側もやがて観光鉄道を目指すようになり、グッズ類の販売等にも力を入れるようになった。しかし、1985年(昭和60年)3月14日の国鉄ダイヤ改正で宮津線の貨物輸送が廃止され、同線でのニッケル鉱輸送が不可能となったため、丹後山田 - 大江工場間の専用線も廃止を余儀なくされた。これにより、鉄道収入の6割を占めていた専用線の輸送業務委託料が失われ、赤字額の大幅な増大が見込まれたため、同年5月1日に全線が廃止された。なお、運営会社の加悦鉄道株式会社は鉄道廃止以前から路線バスの運行のみならず、鉄道会社の事業展開としては異色の自動車整備業、建設業を営んでいた。廃止後にはカヤ興産株式会社と社名を変更し、前述の建設業・自動車整備業に加え、株式会社YAKIN大江山(当時)構内におけるニッケル運搬・構内機器整備等のほか、鉄道保存展示施設「加悦SL広場」の運営なども行っているが、1999年(平成11年)にバス部門を加悦フェローラインに分社している(2009年(平成21年)に路線廃止・法人解散、特定貸切バスについてはカヤ興産が引き継ぐ)。ニッケル鉱輸送の関連から日本冶金工業のグループ会社であり、社紋についても共通であるただし、戦前の社紋(移行時期は不詳)は、“カ”の字を時計回りに8つ配して「加悦」を表し、真ん中にレールの断面を配したものを使用していた。。その後、2011年(平成23年)4月1日に宮津港運株式会社とカヤ興産株式会社の合併により宮津海陸運輸株式会社が設立され、「加悦SL広場」の運営などはひきつづき宮津海陸運輸株式会社にて実施されている。 ) : ウィキペディア日本語版
加悦鉄道(かやてつどう)は京都府与謝郡野田川町(現・与謝野町)の丹後山田駅(現・京都丹後鉄道宮津線与謝野駅)から、同郡加悦町(現・与謝野町)の加悦駅までを結んでいた私鉄である。1985年(昭和60年)5月1日に全線が廃止された。日本冶金工業のグループ企業である。鉄道路線の廃止後も運営会社はカヤ興産と改称して存続していたが、2011年(平成23年)4月1日に宮津港運と合併し、宮津海陸運輸となっている。Wikipedia:リダイレクト[みち]

加悦鉄道(かやてつどう)は京都府与謝郡野田川町(現・与謝野町)の丹後山田駅(現・京都丹後鉄道宮津線与謝野駅)から、同郡加悦町(現・与謝野町)の加悦駅までを結んでいた私鉄である。1985年(昭和60年)5月1日に全線が廃止された。
日本冶金工業のグループ企業である。鉄道路線の廃止後も運営会社はカヤ興産と改称して存続していたが、2011年(平成23年)4月1日に宮津港運と合併し、宮津海陸運輸となっている。
== 概要 ==
丹後山田駅と南西部の加悦町を結んでいた路線で、当初は沿線の特産品である丹後ちりめんを京阪神地区に輸送することを主目的として開業し、旅客営業も行った。その後、加悦駅の南西にある大江山ニッケルの採掘が開始されたため、1940年(昭和15年)に大江山ニッケル鉱山への貨物専用線〔 が開業し、1942年(昭和17年)には丹後山田駅から北東の岩滝町にある精錬所(日本冶金工業大江山製造所)への専用線〔『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和18年4月1日現在』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕 も開通した。
戦後、大江山でのニッケル採掘が中止されたため加悦 - 大江山間の専用線は撤去(ただし、法的には加悦鉄道廃止まで廃止手続きは取られていない)されたが、岩滝工場への専用線は同工場で精錬する輸入ニッケル鉱を輸送するため存続した。モータリゼーションの進行により旅客輸送量が減少する一方、明治・大正時代に製造された古典蒸気機関車をはじめ、「マッチ箱」と呼ばれる木造2軸客車、国鉄から購入した客車改造のキハ08形気動車など希少車・珍車の宝庫として知られ、多くのファンを集めた。会社側もやがて観光鉄道を目指すようになり、グッズ類の販売等にも力を入れるようになった。
しかし、1985年(昭和60年)3月14日国鉄ダイヤ改正で宮津線の貨物輸送が廃止され、同線でのニッケル鉱輸送が不可能となったため、丹後山田 - 大江工場間の専用線も廃止を余儀なくされた。これにより、鉄道収入の6割を占めていた専用線の輸送業務委託料が失われ、赤字額の大幅な増大が見込まれたため、同年5月1日に全線が廃止された。
なお、運営会社の加悦鉄道株式会社は鉄道廃止以前から路線バスの運行のみならず、鉄道会社の事業展開としては異色の自動車整備業、建設業を営んでいた。廃止後にはカヤ興産株式会社と社名を変更し、前述の建設業・自動車整備業に加え、株式会社YAKIN大江山(当時)構内におけるニッケル運搬・構内機器整備等のほか、鉄道保存展示施設加悦SL広場」の運営なども行っているが、1999年(平成11年)にバス部門を加悦フェローラインに分社している(2009年(平成21年)に路線廃止・法人解散、特定貸切バスについてはカヤ興産が引き継ぐ)。ニッケル鉱輸送の関連から日本冶金工業のグループ会社であり、社紋についても共通である〔ただし、戦前の社紋(移行時期は不詳)は、“カ”の字を時計回りに8つ配して「加悦」を表し、真ん中にレールの断面を配したものを使用していた。〕。
その後、2011年(平成23年)4月1日に宮津港運株式会社とカヤ興産株式会社の合併により宮津海陸運輸株式会社が設立され、「加悦SL広場」の運営などはひきつづき宮津海陸運輸株式会社にて実施されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「加悦鉄道(かやてつどう)は京都府与謝郡野田川町(現・与謝野町)の丹後山田駅(現・京都丹後鉄道宮津線与謝野駅)から、同郡加悦町(現・与謝野町)の加悦駅までを結んでいた私鉄である。1985年(昭和60年)5月1日に全線が廃止された。日本冶金工業のグループ企業である。鉄道路線の廃止後も運営会社はカヤ興産と改称して存続していたが、2011年(平成23年)4月1日に宮津港運と合併し、宮津海陸運輸となっている。Wikipedia:リダイレクト」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.