翻訳と辞書
Words near each other
・ 冨吉栄二
・ 冨吉榮二
・ 冨和
・ 冨国映画
・ 冨坂和男
・ 冨塚八幡宮
・ 冨塚宥けい
・ 冨塚宥暻
・ 冨塚明
・ 冨士
冨士ヶ嶽孝一郎
・ 冨士中学校
・ 冨士井金雪
・ 冨士信夫
・ 冨士公園
・ 冨士原清一
・ 冨士商事
・ 冨士商事株式会社
・ 冨士大石寺顕正会
・ 冨士宏


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

冨士ヶ嶽孝一郎 : ミニ英和和英辞書
冨士ヶ嶽孝一郎[いち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たけ]
  1. (n,suf) (1) peak 2. (2) mountain
: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 
: [いち]
  1. (num) one 

冨士ヶ嶽孝一郎 ( リダイレクト:若港三郎 ) : ウィキペディア日本語版
若港三郎[わかみなと さぶろう]
若港三郎(わかみなと さぶろう、1909年12月13日 - 1982年6月30日〔http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19380104.htm〕)は、山梨県南都留郡鳴沢村出身で富士ヶ根部屋所属の1940年代に活躍した元大相撲力士。本名は、渡辺孝一郎(わたなべ こういちろう)。身長190cm、体重123kg。現役中から年寄も二枚鑑札で襲名し、後進の指導にあたっていた。最高位は東前頭3枚目。
==来歴==
1931年3月場所、富士ヶ根部屋から初土俵をふんだ。冨士ヶ嶽を名乗り、年長の入門であったこともあり、着実に昇進、1935年1月場所に十両に昇進した。そのときは負け越し、幕下に下がったが、1937年5月、再十両を果たすと、その場所10勝3敗の好成績をあげ、翌1938年1月、新入幕を果たした。すでに28歳になっていた。
左四つからの吊りは強烈だったが、あまり積極的な相撲ではなかったので、入幕後は中堅力士で終始し、最高位も東前頭3枚目にとどまり、殊勲の星といえば1941年1月に新大関五ッ島に勝ったぐらいであった。1942年1月から、師匠の死で部屋を二枚鑑札で相続し、四股名も若港と改名した。師匠としては、有望な弟弟子の東冨士を、最終的には横綱にまで昇進させた。
1945年11月、十両に陥落したところで全休し、現役を引退して年寄富士ヶ根専業となる。部屋も、1947年6月場所まで経営した後、高砂部屋に弟子をゆずった。その後一時期、再び部屋をもったが、すぐに閉鎖、時津風部屋所属の年寄として、停年まで相撲協会に在籍した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「若港三郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.