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内山永久寺 : ミニ英和和英辞書
内山永久寺[うちやまえいきゅうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
永久 : [とわ, えいきゅう]
  1. (adj-na,n) eternity 2. perpetuity 3. immortality
: [てら]
 【名詞】 1. temple 

内山永久寺 : ウィキペディア日本語版
内山永久寺[うちやまえいきゅうじ]
内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)は奈良県天理市杣之内町にかつて存在した寺院である。興福寺との関係が深く、かつては多くの伽藍を備え、大和国でも有数の大寺院であったが、廃仏毀釈の被害により明治時代初期に廃寺となった。寺跡は石上神宮の南方、山の辺の道沿いにあり、かつての浄土式庭園の跡である池が残る。
== 歴史 ==
三方を山に囲まれていることから内山といい、院号を金剛乗院といった。本尊は阿弥陀如来〔『角川日本地名大辞典 奈良県』、p.207〕。
『永久寺置文』(東京国立博物館蔵)、菅家本『諸寺縁起集』によれば、永久年間(1113年-1118年)に鳥羽天皇の勅願により興福寺大乗院第2世院主の頼実が創建し、第3世尋範に引き継がれて堂宇の整備が進められた。『大乗院寺社雑事記』康正3年(1457年)4月29日条では頼実と尋範の2人を本願としており、頼実の営んだ山荘が尋範に引き継がれたものとみられる。尋範は太政大臣藤原師実の子で、大乗院3世、興福寺別当を務めた。このため、当初より興福寺大乗院の末寺としての性格を備え、また本地垂迹説の流行と共に石上神宮神宮寺としての性格を備えるようにもなり、興福寺を支配していた2大院家の一方である大乗院の権威を背景として、室町期には絶大なる勢力を誇った〔『日本歴史地名大系 奈良県の地名』、pp.701 - 702; 『角川日本地名大辞典 奈良県』、pp.207 - 208〕。
『永久寺置文』によれば、保延2年(1136年)に真言堂、同3年に八角多宝塔が建立され、その他、吉祥堂、観音堂、常存院、御影堂、経蔵、鐘楼、温室(浴室)、四所明神社、玉賀喜社など多数の堂宇が存在した〔『日本歴史地名大系 奈良県の地名』、pp.701 - 702〕。
太平記』によると延元元年・建武3年(1336年)には後醍醐天皇が一時ここに身を隠したと伝えられ、「萱御所跡」という旧跡が残された〔『角川日本地名大辞典 奈良県』、p.208〕。
天正13年(1585年)の時点で、56の坊・院が存在した。近世の『大和名所図会』所収の境内図によれば、池を中心とした浄土式回遊庭園の周囲に、本堂、観音堂、八角多宝塔、大日堂、方丈、鎮守社などのほか、多くの院家、子院が建ち並んでいた〔『週刊朝日百科 日本の国宝』8号、朝日新聞社、1997、p.4 - 245〕。文禄4年(1595年)、豊臣秀吉は当寺に971石の寺領を与え、近世を通じてこの寺領が維持された。なお、近世には院家の上乗院が寺主となって興福寺の支配下から離れ、真言宗寺院となっている。大和国では東大寺興福寺法隆寺に次ぐ待遇を受ける大寺であり、その規模の大きさと伽藍の壮麗さから、江戸時代には「西の日光」とも呼び習わされた。
明治に入って廃仏毀釈の嵐の中で寺領を没収され、経営基盤を奪われた当寺は廃寺となって僧侶は還俗し、石上神宮の神官となった。更に、壮麗を極めた堂宇や什宝はことごとく徹底した破壊と略取の対象となった。この際流出した仏像・仏画・経典等はいずれも製作当時の工芸技術の精華と言うべき優品揃いであったことが知られている。海外に流出した宝物の内、ベルリン民俗学博物館が購入した真然筆と伝えられる真言八祖像などは第二次世界大戦末期のベルリン市街戦で烏有に帰した。しかし、日本国内に残存した宝物の大半が、現在重要文化財・国宝指定を受けていることは、当寺の得ていた富がいかに巨大であったかを物語るものである。
現在では当寺の敷地の大半は農地となり、本堂池と萱御所跡の碑が往時をしのぶだけである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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