翻訳と辞書
Words near each other
・ 八槻都都古別神社
・ 八橋
・ 八橋 (秋田市)
・ 八橋かきつばた園
・ 八橋イサノ
・ 八橋インターチェンジ
・ 八橋ショッピングセンター
・ 八橋三和町
・ 八橋南
・ 八橋城
八橋城秀
・ 八橋大沼町
・ 八橋大畑
・ 八橋大道東
・ 八橋小学校
・ 八橋新川向
・ 八橋本町
・ 八橋検校
・ 八橋油田
・ 八橋浜駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

八橋城秀 : ミニ英和和英辞書
八橋城秀[やばせじょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やつ]
 (num) eight
八橋 : [やつはし, やばせ]
 【名詞】 1. (1) type of sweet made with bean paste (local delicacy in Kyoto) 2. cinnamon-seasoned cracknel (cookie) 3. (2) zigzag bridge
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 

八橋城秀 ( リダイレクト:八橋検校 ) : ウィキペディア日本語版
八橋検校[やつはし けんぎょう]
八橋検校(やつはし けんぎょう、慶長19年(1614年) - 貞享2年6月12日1685年7月13日))は、近世中期の日本を生きた人物である江戸時代前期の音楽家であり、検校を務めた。名は城秀。出身は諸説あるが、山田松黒が安永8年(1779年)に記した『箏曲大意抄(そうきょくたいいしょう)』より陸奥国磐城(明治期の磐城国、現・福島県いわき市)が定説とされている。他に摂津国(現・大阪府北中部、ほか)とする説もある。
== 人物・来歴 ==
八橋検校は、寛永年間(1624-1644年〉の初め頃、摂津で城秀と称して三味線の分野で活躍した。その後、江戸にくだり、筑紫善導寺法水に師事して筑紫流箏曲を学んだ。この箏曲を基に現在の日本のの基礎を作り上げた。独奏楽器としての楽器奏法の改良、段物などの楽式の定型化など、箏曲の発展に努めた。代表作に組歌の『梅が枝(うめがえ)』、『菜蕗(ふき)』、『心尽し』、『雲井の曲(くもいのきょく)』などがあり、また、段ものの『六段の調』、『(みだれ)』(乱輪舌[みだれ りんぜつ])、『八段の調』も八橋の作と伝えられている。寛永13年(1636年)に上洛し、母親が俳人藤本箕山(ふじもと きざん、畠山箕山)配下の山住(やまずみ)某(なにがし)扶持されていたことにちなんで山住勾当勾当(こうとう) :当道座に属した盲官(盲人の役職)の官位には、検校・別当・勾当・座頭があり、勾当は第3の位階。〕(やまずみ こうとう)を名乗った。1639年〈寛永16年)にも再び上洛して上永検校と称し、さらにのち、八橋検校と改めた。
その芸術は高く評価され、磐城平藩専属の音楽家として五人扶持で召し抱えられたこともある。胡弓、三味線の名手でもあり、胡弓のの改良も行っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「八橋検校」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yatsuhashi Kengyo 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.