翻訳と辞書
Words near each other
・ 信州大学教育学部附属幼稚園
・ 信州大学教育学部附属松本中学校
・ 信州大学教育学部附属松本小学校
・ 信州大学教育学部附属特別支援学校
・ 信州大学教育学部附属長野中学校
・ 信州大学教育学部附属長野小学校
・ 信州大学教育学部附属養護学校
・ 信州大芝高原
・ 信州学
・ 信州山岳刑事 道原伝吉
信州山由金
・ 信州工業高等学校
・ 信州市民新聞グループ
・ 信州平駅
・ 信州弁
・ 信州志賀一
・ 信州戸隠そば
・ 信州斉藤一家
・ 信州斎藤一家
・ 信州新町


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

信州山由金 : ミニ英和和英辞書
信州山由金[しんしゅうざん よしかね]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [す, しゅう]
 (n) sandbank
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [よし]
 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause 
: [きん]
  1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) 

信州山由金 : ウィキペディア日本語版
信州山由金[しんしゅうざん よしかね]

信州山 由金(しんしゅうざん よしかね、1918年11月1日-1976年8月20日)は、長野県諏訪郡上諏訪町(現在の同県諏訪市岡村)出身で、1940年代に活躍した大相撲力士である。現役時代は、高砂部屋に所属した。本名は河西 由金(かわにし よしかね)。
== 来歴・人物 ==
現役当時の体格は179cm、92kgと、当時としては肩幅も広くがっしりとした体型であった。
18歳の時に角界入りし、1937年5月場所で初土俵1938年5月、19歳で序ノ口に付き、故郷の長野県諏訪郡に由来する「諏訪昇」を四股名とした。
その後、1942年5月場所より、郷里・長野県の旧称(信濃信州)に因んだ「信州山」に改名。1943年5月場所では幕下上位で全勝優勝を遂げ、翌年の1月場所で新十両に昇進。そして、1945年11月場所で、初土俵から9年目にして入幕した。
その場所は、戦後初の本場所であり、修復した両国国技館で開催された。しかし、屋根に穴が開いていて雨が防げなかったため、一日だけ雨天順延になっている。また、唯一正規の15尺ではなく、16尺の土俵を使用した珍しい場所となる〔『戦後新入幕力士物語 第1巻』 佐竹義惇・著、1990年10月、ベースボール・マガジン社、P24より〕。
1947年6月場所での西前頭4枚目が最高位で、横綱羽黒山に善戦した一番が話題になったものの、同場所では1勝9敗と大きく負け越した。
以後も勝ち越すことは無く、1948年10月場所限り、29歳で廃業
廃業後は東京都大田区内にて、料理店を経営した。
1976年8月20日、逝去。57歳没。
取り口は、上突っ張りからの右を差しての寄り切りに鋭さがあったという。また、長身ながら頭を下げた堅実な相撲ぶりで、上手投げや打っ棄りもあった〔『戦後新入幕力士物語 第1巻』 佐竹義惇・著、1990年10月、ベースボール・マガジン社、P20より〕〔『古今大相撲力士事典』景山忠弘・小池謙一共著、1989年10月、国書刊行会、P177より〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「信州山由金」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.