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何思源 : ミニ英和和英辞書
何思源[か しげん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なん]
  1. (int,n) what 
: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 

何思源 : ウィキペディア日本語版
何思源[か しげん]

何 思源(か しげん)は中華民国中華人民共和国の経済学者・社会学者・教育者・政治家。仙槎
== 事績 ==

=== 民国初期の活動 ===
1916年民国5年)夏、曹州の山東省立第六中学を卒業し、次いで国立北京大学に進学した。1919年(民国8年)5月、五・四運動に参加している。同年8月、アメリカに留学し、まずシカゴ大学大学院で哲学を学び、まもなくセントルイス大学で政治学を履修している。1922年、シカゴ大学の修士学位を取得し、次いでドイツに転じてベルリン大学で経済学を専攻した。1924年(民国13年)からは東欧諸国を外遊して政治・経済を考察し、さらにパリ大学で教育学を履修している。〔徐主編(2007)、673頁。〕〔劉国銘主編(2005)、1113頁。〕
1925年(民国14年)に帰国すると、中山大学で経済系主任代理兼図書館長となった。〔劉国銘主編(2005)、1113頁による。徐主編(2007)、673頁によると1926年帰国。〕この時期に中国国民党にも加入し、同大学では訓育部副主任兼法科主任にも就任している。1928年(民国17年)3月、国民革命軍総司令部政治訓練部主任となり、その翌月には国民政府軍事委員会政治訓練部主任に転じた。また、国民党山東省党務整理委員会委員も務めている。同年5月、山東省政府委員兼教育庁庁長となり、国立青島大学籌備処主任や直魯賑災委員会委員なども務めた。1932年(民国21年)3月、国難会議会員として招聘され、1934年(民国23年)7月には山東省新生活運動促進会幹事会幹事となっている。翌1935年(民国24年)7月、普通考試典試委員会秘書長も務め、1936年(民国25年)11月には国民党中央監察委員候補に選出された。〔〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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