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佐藤竹秀 : ミニ英和和英辞書
佐藤竹秀[さとう たけひで]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 

佐藤竹秀 : ウィキペディア日本語版
佐藤竹秀[さとう たけひで]

佐藤 竹秀(さとう たけひで、1947年6月13日 - 2001年3月13日)は、静岡県富士市出身のプロ野球選手外野手)。右投右打。
== 来歴・人物 ==
静岡高では1年生の時、1963年夏の甲子園に控え投手として出場。登板機会はなく2回戦で銚子商に敗退〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。3年生の1965年春の選抜では2試合に登板、準々決勝で岡山東商平松政次に完封を喫する〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。同年夏の県予選でも決勝に進出するが、内田順三のいた東海大一高に延長10回サヨナラ負け、甲子園出場を逸する〔。高校同期に小田義人服部敏和がいる。
卒業後は日本軽金属に入社し外野手に転向。1969年都市対抗にチームとして18年ぶりに出場するが、1回戦で日本生命に敗退〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕。
同年のドラフト6位で近鉄バファローズに指名され、翌年シーズン後に入団。1971年ジュニアオールスターにも出場。1974年に一軍に定着し、主に代打として起用される。翌年から外野の準レギュラーとして活躍。しかし1977年平野光泰が台頭すると、押し出される形となって出場機会が激減する。1978年オフに神部年男寺田吉孝と共に、チャーリー・マニエル永尾泰憲との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍。ここでもあまり出番はなく、1979年限りで現役引退。
左投手に強く、1975年には11本塁打を放ったようにパンチ力のある打撃力が持ち味の選手であった。1976年、5月31日と7月11日の共に対太平洋クラブライオンズ戦で永射保から代打サヨナラ満塁本塁打を放っており、シーズン2本の代打サヨナラ満塁本塁打は日本プロ野球史上2人目の記録〔講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」474ページ〕である。
引退後は地元の会社員となっていたが、2001年3月に逝去。享年53。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐藤竹秀」の詳細全文を読む




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