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佐藤章蔵 : ミニ英和和英辞書
佐藤章蔵[さとう しょうぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [しょう, あきら]
 【名詞】 1. (1) chapter 2. section 3. (2) medal 
: [そう, くら, ぞう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator

佐藤章蔵 : ウィキペディア日本語版
佐藤章蔵[さとう しょうぞう]
佐藤 章蔵(さとう しょうぞう、生年不明 - 1981年7月12日〔『人物物故大年表』日外アソシエーツ〕)は日本工業デザイナー。若い頃から自動車の造形美に魅せられ、第二次世界大戦前から東京の街頭で多くの名車・珍車を撮影していた。
1937年東京帝国大学工学部機械工学科を卒業〔『官報』1937年5月10日〕し、日産自動車に入社。1954年に同社初代造形課課長となり、ダットサン・110/210系(1955年発表)及びその後継車である初代ブルーバード(310系)(1959年発表)をデザインした。1956年には110の改良型である112型のデザインで毎日工業デザイン賞を受賞する。両車のデザインは共に虚飾が無く、シンプルで機能的なことが特徴であった。1959年に日産自動車を退職。
なお、佐藤が退職した後の日産はイタリアの巨匠デザイナー・バッティスタ・ピニンファリーナに(二代目ブルーバード(410系・1963年発表)二代目セドリック(130系・1965年発表))のデザインを託したが、いずれのモデルも好評を得ることは出来なかった。
佐藤はその後フリーランスに転じ、トヨタ・スポーツ800のプロトタイプ(戦闘機のキャノピーのようなドア兼用のスライド式ルーフが特徴・1962年発表)などのデザインを手がけた(生産型はトヨタ自動車社員の長谷川龍雄のデザイン)後、自動車から離れ、晩年はソニーの顧問デザイナーの立場にあった。
本業の傍ら、イミターチオ・セシリのペンネームで1960年代半ばのカーグラフィック1920年代の車の記憶をイラストレーションと文章で綴った「ヴィンテジ・カー見聞録」を発表、1975年には定価65,000円限定800部の豪華本「CLASSIC CAR 1919-1940」を出版し、続いて1978年には「栄光のヴィンテジ&サラブレッド」(いずれも番町書房刊)を刊行した。英国車ジャガーの愛好家としても知られた。昭和女子大学教授の佐藤潔人は子息。

Image:1956 Datsun Model 112 01.jpg|ダットサン・112(毎日工業デザイン賞)
Image:Datsun Bluebird (310) 001.JPG|ダットサン・ブルーバード310系
Image:Toyota Sports800 at MEGAWEB 002.JPG|トヨタ・スポーツ800(原型をデザイン)

==注==





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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