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住田呉服店 : ミニ英和和英辞書
住田呉服店[すみだごふくてん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じゅう]
 【名詞】 1. dwelling 2. living 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ご]
 【名詞】 1. giving 2. doing (something) for 
呉服 : [ごふく]
 【名詞】 1. draperies 2. dry-goods 3. piece goods 
呉服店 : [ごふくてん]
 (n) dry-goods store
: [ふく]
  1. (n,n-suf) clothes 
: [みせ]
  1. (n,n-suf) store 2. shop 3. establishment 

住田呉服店 : ウィキペディア日本語版
住田呉服店[すみだごふくてん]
住田呉服店(すみだごふくてん)は、日本鳥取県米子市東倉吉町にかつて存在した呉服店。主人の住田善平は米子町長をつとめた。
漫画家妖怪研究家水木しげる本名武良茂)の祖母の生家でもある。
== 概要 ==
住田氏”は近世期中ごろから東倉吉町居住し、住田屋をした〔『米子商業史』76頁〕。衣料雑貨営業し、近代に入って呉服類を中心に営業を継続拡張した〔。
仕入品の運送はほとんど便によった〔『米子商業史』77頁〕。境町(現在の境港市)の栢木回漕店に依頼することが多かったとされる〔〔明治24年(1891年)の「金銭渡帳」ではあるが、栢木の代理人手嶋三右衛門、岡松治右衛門に対して支払われた運賃が記録されている。「十月二日、境栢木代手嶋三右衛門、一金壱円六拾六銭壱厘、右ハ加茂川丸積六個運賃」「十月七日、境栢木代手嶋三右衛門、一金四拾壱銭八厘、右ハ住之江丸積貮個運賃」などとあり、積み受けの船はその他金龍丸・墨田川丸・長崎丸・禄川丸などが記されている。〕
住田本店の明治中期の仕入状況をみると、京都の吉田重兵衛、伊藤忠支店など5店、大阪の伊藤忠、伊藤萬、山口玄洞など15店から、南部、郡内、秩父、八丈、越後博多など各地の綿織物が数10種類にわたって仕入れられている〔『米子商業史』400頁〕。仕入総額は資料を欠くが、境町(現在の境港市)の栢木回漕店扱いの送状のみをみても、ほとんど毎日の入荷で、原価金額は最高約600円、最低40円である〔。これによって住田本店だけでも、いかに大きな商いであったかを推量することができる〔。
明治10年代(1877年1886年)後半には近郊に約二町歩田地を取得し、以前から所持の三余に加えている〔。
現在の住田家は、呉服商をやめている〔『米子商業史』79頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「住田呉服店」の詳細全文を読む




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