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伴龍男 : ミニ英和和英辞書
伴龍男[とも]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とも]
  1. (n,vs) companion 2. follower 
: [りゅう]
  1. (oK) (n) (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi)
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 

伴龍男 ( リダイレクト:伴竜男 ) : ウィキペディア日本語版
伴竜男[とも の たつお]
伴 竜男(とも の たつお、生没年不明)は、平安時代の貴族。大伴氏(伴宿禰)の一族だが、系譜ははっきりしない。名の類似性から大納言伴善男と兄弟として伴国道の子とする説や〔亀田323注11 〕、大和大伴稲公の孫にあたる民部少輔・大伴久米主の子とする系図〔鈴木真年『百家系図』巻59,大伴宿禰〕がある。官位従五位上上総
地方官を歴任するが、国司としての施政は強圧的で、たびたび非行を繰り返したが都度赦された。
== 経歴 ==
承和13年(846年)1月に従五位下・紀伊守に叙任された。2年後の承和15年(848年)に紀伊国在田郡が人口増加のため上郡に昇格したのは、竜男の功績とされるべきことである〔亀田308-309 〕。ところがこの後、地元の国造紀高継と対立し、兵を発して高継を捕らえた。太政官がこれについて指示を与えて解決したらしいが、その内容は不明である。嘉祥2年閏12月(850年2月)に竜男は高継の国造職を免じて、代わりに紀福雄を任命したが、国造任命は国守の権限外であったことから、竜男は咎められて解任された。〔『続日本後紀』嘉祥2年閏12月庚午条。翌年の1月に文室真室が後任の紀伊守になっていることから、竜男が解任されたことがわかる(亀田311 )。〕
嘉祥3年(850年)3月罪を赦されて放免される。 仁寿元年(851年)3月仁明天皇の御忌斎会で検校購読二師房司を務め、仁寿2年(852年)には弾正少弼に任ぜられて、官界に復帰した。
斉衡元年(854年)1月に従五位上に位階を進め、越後守に任じられた。越後守在任中、国書生物部稲吉が竜男の犯用官物(官物横領)について太政官に訴え出たところ、竜男は従者の公弥侯広野に命じて稲吉を撲殺させた。天安2年(858年)閏2月に竜男はこの故殺のため獄に下された。ところが刑部省恩赦があったという理由ですぐに放免した。この処分はさすがに問題視されたが、貞観元年(859年)12月27日に清和天皇の詔があり、時がたてば人も変わるという理由で、他のより軽い罪を起こした官人とともに竜男は赦された〔『日本三代実録』貞観元年12月27日条、国史大系『日本三代実録』前篇43頁。〕。重罪であり、かつ理由が理由であるため、この恩赦は度が過ぎるようであることから、当時民部卿の官職にあった伴善男による弁護があったことが想定される〔佐伯46 、亀田316 〕。
貞観2年(860年)2月14日に、上総介に任じられた〔『日本三代実録』貞観2年2月14日条。国史大系『日本三代実録』は、従五位下伴宿祢龍男とあるのを貞観元年12月紀によって「下」を「上」に改める(前篇47頁頭注)。〕。上総国は親王任国なので、介が実質的な長官である。着任した竜男は、交替の際に官物が多く欠けていたと言う理由で、前任の上総介・和豊永を禁固した。豊永は冤罪を訴え、貞観4年(862年)3月に太政官がその禁固を解いた〔『日本三代実録』貞観4年3月19日条、国史大系『日本三代実録』前篇89頁。〕。以後、竜男について知られることはない〔亀田322 〕。
なお、応天門の変で伴善男が失脚したのは、これより4年後の貞観8年(866年)のことであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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