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伊勢世界館 : ミニ英和和英辞書
伊勢世界館[やかた, かん, たて, たち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はずみ]
 【名詞】 1. (1) bounce 2. spring 3. rebound 4. (2) momentum 5. inertia 6. (3) spur of the moment
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世界 : [せかい]
 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe 
: [やかた, かん, たて, たち]
 【名詞】 1. (1) mansion 2. small castle 3. (2) boat cabin

伊勢世界館 ( リダイレクト:世界館 (伊勢市) ) : ウィキペディア日本語版
世界館 (伊勢市)[せかいかん]

世界館(せかいかん)は、かつて存在した日本映画館世界舘とも表記した〔日本映画製作者連盟配給部会 編(1995):81ページ〕。1894年(明治27年)に芝居小屋蛭子座として開館、1916年(大正5年)に世界館へ改称、映画館となった〔久保(1996):55 - 56ページ〕。2001年(平成13年)時点では、三重県最古の映画館であった〔"「シネコン時代」街の映画館苦戦"朝日新聞2001年12月12日付朝刊、三重版25ページ〕。
本項では、世界館を経営していた有限会社世界館についても扱う。
== 歴史 ==
お蔭参りで賑わった伊勢には、江戸時代浄瑠璃歌舞伎を上演する常設の芝居小屋が伊勢参宮街道沿いの古市に設けられ、明治時代には伊勢の中心市街地である山田にも芝居小屋が建てられるようになった〔宇治山田市役所 編(1929):1606 - 1610ページ〕。そうした中、1894年(明治27年)に田南豊七が発起人となって山田駅前本町)に芝居小屋「蛭子座」(えびすざ)が開業した〔。こけら落し7月20日に東京女俳優阪東鈴吉一座を迎えて行われた〔。芝居小屋であるが、寄席も行われた〔。その後、材木業を営む中村六次郎が買収し、1916年(大正5年)に一之木町の新道(しんみち)入り口付近へ新築移転、「世界館」に改称し、映画館として再出発した〔。
「世界館」の名は、移転先の一之木町にあった「帝国座」に対抗し、その上を行く劇場とするという意気込みを表明したものであった〔。芝居小屋から映画館に転換したのは、中村六次郎の息子である中村亥三郎(当時17歳)の提案がきっかけである〔。亥三郎は宇治山田商業学校を卒業後、映画館経営に乗り出し、何事も先に行かねば気が済まない性格から三重県で初めてトーキー映写機を設置するなど新しい設備を積極的に導入した〔。当時の映画館は瓦葺き2階建てで建坪は76.5(約252.89m2)であった〔。
1929年(昭和4年)、亥三郎は収容人数1,700余名という三重県最大の劇場に大改築を行った〔。再び歌舞伎興行ができるように舞台を設け、地下室も備えた劇場となった〔。同年2月10日旧正月に映画興行を再開、6月25日には初の舞台公演が行われた〔。この大劇場は1945年(昭和20年)7月29日宇治山田空襲により焼失した〔久保(1996):58ページ〕。
戦後、世界館は再建され興行を再開する〔。亥三郎は映画館経営の傍ら材木・製紙化粧品雑貨商も手掛け、三重県興行組合長や保護司家庭裁判所調停委員消防団長を務め、地域の人の信望が厚かった〔。なお、女優松岡由利子は亥三郎の孫である〔。
亥三郎の跡は息子の中村比呂誌が継いだ〔久保(1996):55ページ〕。直系の親子3代が経営する映画館は三重県唯一の存在であった〔。1984年(昭和59年)時点では、世界館と第二世界館の2館体制で、ともに平屋建てであった〔日本映画製作者連盟配給部会 編(1984):89ページ〕。ほかに伊勢市内には伊勢レック(I・II)とパール劇場(別館は伊勢シネマ)の3館の映画館が営業していたが、企業経営だったのは世界館のみであった〔。
1995年(平成7年)になるとパール劇場は既に姿を消し、伊勢市の映画館は伊勢レックと世界館の2館となった〔日本映画製作者連盟配給部会 編(1995):80 - 81ページ〕。1996年版の『映画館名簿』では館名表記が「世界舘」となっている〔。建物は3階建てになったが、1984年よりも収容人数は減少した〔。1995年は桑名市ワーナー・マイカル・シネマズ桑名(後にイオンシネマ桑名に改称)が開業し三重県初のシネマコンプレックスが誕生した年であり、以後シネマコンプレックスは増加していった〔。
既存の映画館、いわゆる「町の映画館」はシネマコンプレックスの成長により、厳しい経営を強いられ、2001年(平成13年)に朝日新聞取材に対して支配人の中村比呂誌は入場料を下げて来場者を増やしたいと答えている〔。そして2003年(平成15年)に閉館した。閉館後もしばらく建物は残り、伊勢銀座新道商店街の運営で4つの食料品店が出店する「さくら市場」が2003年(平成15年)3月23日に開設された〔中谷(2003):13ページ〕。2006年(平成18年)に建物は取り壊され〔、跡地は「メゾンブローニュ一之木」というマンションになっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「世界館 (伊勢市)」の詳細全文を読む




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