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井佐英徳 : ミニ英和和英辞書
井佐英徳[いさ ひでのり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [さ]
 【名詞】 1. help 

井佐英徳 : ウィキペディア日本語版
井佐英徳[いさ ひでのり]

井佐 英徳(いさ ひでのり、1976年7月30日 - ) は、新潟県小千谷市出身のバイアスロン選手。新潟県立小千谷西高等学校電子科を卒業後、陸上自衛隊第2普通科連隊を経て、現在は冬季戦技教育隊所属(階級は2等陸尉)。2002年ソルトレイクシティオリンピックより冬季オリンピック4大会連続男子バイアスロン日本代表。

== プロフィール ==
高校卒業後に入隊した高田駐屯地でバイアスロンに出会い、その後本格的に競技を行うため冬戦教に入隊した。
2002年、初めてのオリンピックとなったソルトレイクシティオリンピックでは男子10キロ62位、男子20キロ44位の成績を残した。また男子リレー4×7.5キロに2番手として出場し、日本代表は1時間29分04秒4の記録で13位となった。
2006年トリノオリンピックでは、男子10キロ40位、男子20キロ64位、また男子12.5キロ追い抜きでは37位の成績を残した。トリノでも男子リレー4×7.5キロの代表として出場し、1時間25分15秒6の記録で12位となった。
2007年1月30日、長春冬季アジア大会男子10キロに出場し、射撃で全弾命中の結果を残し優勝を飾った〔「[長春冬季アジア大会]第2日 日本「金」3発進 まず中島・平子・井佐」『讀賣新聞』2007年1月30日東京朝刊、24頁、スポーツC面。〕。2009年12月スロベニア・ポクリュカにおいて開催されたワールドカップ10kmスプリントでは、射撃で全弾命中の結果を残し10位に入った〔井佐、健闘10位 バイアスロンワールドカップ asahi.com(10-12-20).2010年4月29日閲覧。〕〔オリンピック代表決まる ―男子は井佐、女子は鈴木― 陸上自衛隊北部方面隊 2010年4月29日閲覧。〕〔(5)バイアスロンの井佐 これが本当の集大成 sponichiannex(09-12-06).2010年4月29日閲覧。〕。バンクーバーオリンピックの日本代表出場枠はトリノでの男女10名から男女1名ずつに減枠されたが、これを仕留めて3大会連続となる日本代表に選出された〔井佐と鈴木、バンクーバー五輪代表に内定 バイアスロン asahi.com(09-12-23).2010年4月29日閲覧。〕〔「バンクーバー五輪・北海道特集 夢舞台 胸躍る 期待の47選手=北海道」『讀賣新聞』2010年2月12日東京朝刊、5頁、札幌特別C。〕。
2010年2月14日、バンクーバーオリンピックバイアスロン男子10キロスプリントに出場し68位。2月18日、男子20キロでは射撃に精彩を欠き83位となった〔井佐「五輪で一番悪い」/バイアスロン nikkansports.com(10-02-19).2010年4月29日閲覧。〕。
2014年のソチオリンピック出場を決める。オリンピック4回出場は、日本のバイアスロン選手では最多。2014年2月13日、男子10kmスプリントに出場し、84位でゴール。試合後、今季限りの引退を表明、今後は指導者としての道を歩むとしている。2014年3月8日、引退会見を開き、正式に引退を表明した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「井佐英徳」の詳細全文を読む




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