翻訳と辞書
Words near each other
・ 井伊直親
・ 井伊直該
・ 井伊直輔
・ 井伊直通
・ 井伊直達
・ 井伊直郡
・ 井伊直陽
・ 井伊英理
・ 井伊誠一
・ 井伊谷三人衆
井伊谷宮
・ 井伊谷村
・ 井伊谷藩
・ 井伊谷駅
・ 井伏鱒二
・ 井佐英徳
・ 井保三兎
・ 井俣太良
・ 井倉光一
・ 井倉峡


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

井伊谷宮 : ミニ英和和英辞書
井伊谷宮[いいのやぐう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 

井伊谷宮 : ウィキペディア日本語版
井伊谷宮[いいのやぐう]

井伊谷宮(いいのやぐう)は、静岡県浜松市北区の井伊谷にある神社である。旧社格官幣中社建武中興十五社の一社である。
後醍醐天皇の第四皇子で南北朝時代に征東将軍として関東各地を転戦した宗良親王を祀る。元中2年(1385年)8月10日に73歳で歿した地と伝えられ(他説もある)、社殿の背後に宗良親王の墳墓がある。神紋の李花紋は、歌人としても有名であった宗良親王の家集の題名に因むものである。
== 歴史 ==
明治維新の際、建武中興に尽力した人々を祀る神社が次々に作られた中の一つである。彦根藩知藩事井伊直憲が井伊谷に宗良親王を祭る神社創建を出願し、明治2年(1869年)にその手伝いをするよう命じられた。井伊谷は井伊氏発祥の地で、宗良親王は井伊道政井伊高顕に助けられ、この地で死んだと伝えられていた〔岡田米夫「神宮・神社創建史」30-31頁。〕。翌明治3年(1870年)の春に完成した神社は、はじめ宗良親王御社といったようだが、明治5年(1872年)1月23日に井伊谷宮に改称になり、2月12日に鎮座祭が神祇省の役人によって行なわれた〔「宗良親王御社ヲ井伊谷宮ト称ス附鎮坐祭典官員参向・三条 」、『太政類典』第2編(明治4年~明治10年)、第256巻、5。〕。
初め社格がなく、神官を置かず、宮内省式部寮の役人が祭祀を執行していたが、明治6年(1873年)6月9日に白峯宮(白峯神宮)、鎌倉宮とともに官幣中社に列せられた〔「自峯宮并鎌倉井伊谷二宮ヲ官幣中社東照宮ヲ別格官幣社ニ列ス 」、『太政類典』第2編(明治4年~明治10年)、第256巻、8。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「井伊谷宮」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.