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二葉かほる : ミニ英和和英辞書
二葉かほる[ふたば かおる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [に]
  1. (num) two 
二葉 : [ふたば]
 【名詞】 1. bud 2. sprout
: [よう, は]
 【名詞】 1. leaf 

二葉かほる : ウィキペディア日本語版
二葉かほる[ふたば かおる]

二葉 かほる(ふたば かおる、1871年10月7日 - 1948年1月22日)は、日本女優。本名は鈴木 ふく
新派や芸者を経て松竹蒲田撮影所に入社し、数多くの映画に出演。栗島すみ子五月信子諸口十九ら蒲田のスター俳優の母親役や祖母役を多く演じ、老け役として活躍した。その後はフリーを経て大映専属となった。主な出演作品に『カラボタン』『』『無法松の一生』など。
== 来歴・人物 ==
1871年(明治4年)10月7日東京府東京市神田区五軒町花屋敷(現在の東京都千代田区)に生まれる〔キネマ旬報1980、p.583〕。父の鈴木信之は象牙彫刻家であり、その関係から同じ象牙彫刻家の吉田宗斎と結婚するが、離婚して24歳の時に大阪の舞台に立ったあと各地を巡業する〔。一時、宇都宮で芸者になったこともある。1916年(大正5年)、新派中野信近一座に加わって連鎖劇に出演する。その後、日活向島撮影所の女優募集に応じ、何本かの活動写真に出演した〔。
1923年(大正12年)、52歳で松竹蒲田撮影所に入社〔二葉かほる 、新撰 芸能人物事典 明治~平成、コトバンク、2015年8月31日閲覧〕、島津保次郎監督『人肉の市』などに母親役で出演する。二葉の庶民的な母親像には独特の味わいと親しみがあり、鈴木歌子中川芳江葛城文子米津左喜子らとともに母親女優として活躍した〔キネマ旬報1980、p.584〕。同年9月1日に発生した関東大震災により下加茂で撮った『山中小唄』では梅村蓉子の母、蒲田へ戻ってからの『二人の母』では三村千代子演じる孫娘を母がわりに育てる祖母を演じ、1925年(大正14年)には飯田蝶子小林十九二らとともに準幹部に昇進する〔『松竹九十年史』 、松竹、1985年、p.237〕。以後、蔦見丈夫監督『女難』の岩田祐吉の叔母、池田義信監督『恋妻』の栗島すみ子の母、牛原虚彦監督『征服者』の川田芳子の母、『受難華』の筑波雪子の母など、それぞれニュアンスの違った母を演じ分け、その一方で、大久保忠素監督の『二人の孤児』で悪婆、野村芳亭監督の『カラボタン』などで老妓を演じ、小津安二郎監督の『落第はしたけれど』では下宿のおかみさんを演じたりした〔。時代劇にも多く出演し、野村監督『女殺油地獄』で諸口十九演じる主人公の母を演じたほか『黒駒の勝蔵』などに助演した。
1940年(昭和15年)、松竹を退いてフリーとなり、東宝の『』(山本嘉次郎監督)では高峰秀子演じるヒロインの祖母役を好演、日活の『宮本武蔵 一乗寺決闘』では妙秀尼を演じた。1942年(昭和17年)、大映京都撮影所に入社し、稲垣浩監督の『無法松の一生』で茶店の婆や役で出演。戦後も引き続き大映京都に在籍して、稲垣監督の『おかぐら兄弟』で茶店の老婆、松竹の『東京特急四列車』で霧立のぼるの母を演じ、東横映画の『金色夜叉』に出演中の1948年(昭和23年)1月2日、撮影所に顔を出して間もなく気分が悪くなり、診察を受けに行った病院で脳溢血で倒れ、駆けつけた家人に「私の役はもうすんだはずだが、もし迷感をかけるようなら申しわけがない。それが気がかりだ」と言った後に昏睡状態となり、20日後の1月22日に死去〔。77歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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