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二宮忠八 : ミニ英和和英辞書
二宮忠八[にのみや ちゅうはち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [に]
  1. (num) two 
二宮 : [にのみや, にぐう]
 【名詞】 1. the Two Ise Shrines 
: [やつ]
 (num) eight

二宮忠八 : ウィキペディア日本語版
二宮忠八[にのみや ちゅうはち]
二宮 忠八(にのみや ちゅうはち、慶応2年6月9日1866年7月20日)- 1936年昭和11年)4月8日)は、明治時代航空機研究者。伊予国宇和郡八幡浜浦矢野町(愛媛県八幡浜市矢野町)出身。
陸軍従軍中の1889年、「飛行器」を考案。その翌年には、ゴム動力による「模型飛行器」を製作。軍用として「飛行器」の実用化へ繋げる申請を軍へ二度行なうも理解されず、以後は独自に人間が乗れる実機の開発を目指したが、完成には至らなかった。
なお、「飛行器」とは忠八本人の命名による〔「飛行機」という用語は森鴎外1901年の日記に使用したのが最初の用例であるとされる。〕。また、忠八の死から18年後の1954年、英国王立航空協会は自国の展示場へ忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、彼のことを「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介している〔『ビーバップ!ハイヒール』2012年5月3日放送分「世界を揺るがした! ニッポン天才列伝」より。〕。
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===
八幡浜の商家の四男坊として生まれる。父は幸蔵、母はきた。忠八が出生したころの家は富裕であったが、まもなく事業に失敗し、また2人の兄による放蕩、さらに父幸蔵が忠八12歳の時に若くして亡くなり家は困窮した。忠八は生計を得るため、町の雑貨店や印刷所の文選工、薬屋などで働くかたわら、物理学化学の書物を夜遅くまで読み耽けっていた。また、収入の足しに学資を得るために自ら考案した凧を作って売り、この凧は「忠八凧」と呼ばれて人気を博したという。この経験が後の飛行機作りの原型になったともいわれる。錦絵に描かれた気球にも空への憧れをかきたてられ、気球を付けた凧を作ったこともあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「二宮忠八」の詳細全文を読む




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