翻訳と辞書
Words near each other
・ 亀田大毅
・ 亀田姫月
・ 亀田孜
・ 亀田小学校
・ 亀田山
・ 亀田山トンネル
・ 亀田川
・ 亀田市
・ 亀田平野
・ 亀田役所土塁
亀田得治
・ 亀田忠
・ 亀田支庁
・ 亀田敏夫
・ 亀田早通
・ 亀田明広
・ 亀田昭雄
・ 亀田本町 (新潟市)
・ 亀田村
・ 亀田次郎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

亀田得治 : ミニ英和和英辞書
亀田得治[かめだ とくじ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かめ]
 【名詞】 1. tortoise 2. turtle 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [とく]
  1. (adj-na,n,vs) profit 2. gain 3. interest 

亀田得治 : ウィキペディア日本語版
亀田得治[かめだ とくじ]

亀田 得治(かめだ とくじ、1912年8月14日 - 1994年3月14日)は北海道旭川生まれの弁護士政治家。元日本社会党参議院議員。元日本社会党大阪府連合書記長。全国革新懇代表世話人。
== 来歴・人物 ==
生まれてすぐ、家族が石川県に引っ越したため、少年時代を金沢市で過ごす。金沢の第四高等学校に進学。後に日本社会党委員長となる成田知巳と同じクラスで、成績は1、2位を競い合った。2人とも東京帝国大学法学部に合格。社会運動を行っていた賀川豊彦と出会い、キリスト教の洗礼を受けた。賀川牧師のもとで、当時、治安維持法違反で保釈中だった岩本りえと出会い、結婚する。戦時中は弁護士として小作争議などを担当した。
1946年、社会党に入党。1951年の党分裂の際には大阪府連合書記長として社会党左派に属した。1953年の参議院選挙に大阪地方区から立候補して当選し、以後18年間議員を務める。同輩の成田知巳委員長や日本共産党村上弘大阪府委員長とともに社共共闘をすすめ、黒田了一大阪府知事などの当選に貢献した。しかし、1980年、社会党と公明党が連立政権構想で合意した社公合意に憤りを感じて社会党を離党。
離党後は無所属の革新統一運動に尽力し、全国革新懇の代表世話人となる。1983年の大阪府知事選挙では革新の立場から立候補するも、社会党をはじめ自民・公明・民社推薦の候補に敗れた。離党後も土井たか子委員長に対し『拝啓土井たか子殿 革新の心を洗う』と題する著書を書くなど、右傾化する社会党に警鐘を鳴らし続けた。
1994年3月14日死去。享年81。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「亀田得治」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.