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久保田米僊 : ミニ英和和英辞書
久保田米僊[くぼた べいせん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [こめ]
 【名詞】 1. uncooked rice 
: [せん]
 (n) hermit

久保田米僊 : ウィキペディア日本語版
久保田米僊[くぼた べいせん]

久保田 米僊(くぼた べいせん、嘉永5年2月25日1852年3月15日) - 明治39年(1906年5月19日)は、明治時代の日本画家、画報記者。
== 来歴 ==

=== 生い立ち ===
鈴木百年の門人。京都錦小路東洞院西入元法然寺町生まれ。本名は久保田満寛、後に寛。幼名は米吉といった。は簡伯といい、米僊、米仙、漁村、錦鱗子、紫桜庵、塵芥頭陀などと号す。代々割烹料理店「山城屋」(「山根楼」とも伝えられる)を営む久保田音七の一人息子として生まれた。幼少から絵が好きで、寺子屋へ行っても手習いはせず、絵ばかり描いていた。矢立を腰に挿し、町内の白壁や門に勤王の志士のさらし首の絵を描いてまわり、親を困らせたようだ。家業を継がせようとする父から絵を禁じられても、深夜密かに起きて描いたという。
慶応3年(1867年)6月、日本画家の田中有美の紹介により父に内緒で、四条派の鈴木百年に師事する。更に沢渡精斎に経史を習い、京都中の貸本屋を巡り古代の歴史風俗を独学したという。明治維新の後、明治6年(1873年)第二回京都博覧会の在洛五十名の揮毫者のうちに選ばれ、「奔馬」を描く。この頃から幸野楳嶺との親交が始まり、『京都日日新聞』の挿絵を描いたり、風刺雑誌『我楽多文庫』の編集に関わる。この頃は南画が大流行しており、米僊らの写生派は困窮し、輸出用の扇や友禅の下絵を描いて糊口をしのいだ。一方、神戸に居留するアメリカ人から技法を習い、油画を試したのもこの頃とされる。油絵展に複数回出品したのは確認できるものの、実作品は今のところ発見されていない〔星野(2014)p.81。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「久保田米僊」の詳細全文を読む




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