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中臣勝海 : ミニ英和和英辞書
中臣勝海[なかとみ の かつみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 

中臣勝海 : ウィキペディア日本語版
中臣勝海[なかとみ の かつみ]
中臣 勝海(なかとみ の かつみ、生年未詳 - 用明天皇2年(587年4月)は、飛鳥時代豪族。出自は明らかでなく、父は中臣鎌子中臣磐余鈴木真年『史略名称訓義』用明天皇項(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 による)〕・中臣真人〔「松尾社家系図」(『続群書類従』巻第181所収)〕の諸説がある。大夫(まえつきみ:議政官)の地位にあった。
敏達天皇14年(585年)3月、物部守屋と共に、疫病流行の原因が蘇我氏の仏教信仰のせいであると奏上。用明天皇2年(587年)4月、天皇が病床で仏教に帰依する旨を詔し、群臣にこのことを協議するように命じた際にも、守屋と共に詔に反対している。その後、守屋の挙兵に呼応して、自宅に兵を集め、押坂彦人大兄皇子の像と竹田皇子の像を作り呪詛するが、反乱計画の不成功を知って彦人大兄に帰服。皇子の宮に行ったが、宮門を出たところで迹見赤檮に殺された。
後世の系図によると、鎌子には中臣若子中臣古多比中臣贄古の三子があり、古多比からは中臣宮処氏(中臣宮処氏連)が、贄古からは中臣大家氏(中臣大家連)が出たという〔宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年〕。
== 脚注 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中臣勝海」の詳細全文を読む




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