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中山太一 : ミニ英和和英辞書
中山太一[なかやま たいち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [いち]
  1. (num) one 

中山太一 : ウィキペディア日本語版
中山太一[なかやま たいち]

中山 太一(なかやま たいち、1881年11月17日 - 1956年10月18日)は、日本の実業家政治家である。「クラブ洗粉」、「クラブ化粧品」で知られる中山太陽堂を創業し、近畿化粧品工業会名誉会長、日本インドネシア協会理事、日本能率協会副会長を歴任、貴族院議員にも選任されたことで知られる。「東洋の化粧品王」、「化粧品業界の巨星」と呼ばれた〔#外部リンク内のクラブコスメチックス公式サイトリンク先の記事「資料室」の記述を参照。二重リンクは省く。〕。
== 人物・来歴 ==

=== 東のレート、西のクラブ ===
1881年(明治14年)11月17日山口県豊浦郡滝部村(現・同県下関市豊北町滝部)に生まれる〔。滝部村滝部小学校(現下関市立滝部小学校)を卒業すると、福岡県門司市(現北九州市門司区)の雑貨店に就職した〔財団法人日本電信電話ユーザ協会広島支部公式サイト内の「テレコムニュース」の記事「ひと風土記 第11回 中山太一 」(2001年1月)の記述を参照。〕。
1903年(明治36年)4月3日、21歳のとき、貿易業等で富を得た事業家をスポンサーに、兵庫県神戸市花隈町(現同市中央区花隈町)に洋品雑貨と化粧品の卸しを扱う個人商店「中山太陽堂」(現株式会社クラブコスメチックス)を創業した〔〔。
1906年(明治39年)4月3日、創業からちょうど3年後、自社製造第1号商品「クラブ洗粉」を発売、中山太陽堂を製造業に転身させた〔。日本の化粧品業界では、「白粉の御園」(御園白粉、胡蝶園)、「歯磨のライオン」(「獅子印ライオン歯磨」、小林富次郎商店)、「クリームのレート」(平尾賛平商店、1954年倒産)とならぶ「明治の四大覇者」と呼ばれる〔。中山は、新聞・雑誌といった当時の新しいメディア、自動車や飛行機など当時の新しい交通機関を利用し、斬新な広告を打った〔。文案家(コピーライター)や図案家(イラストレーター)を社員として採用し、高給で厚遇した。1919年(大正8年)6月、22歳の東郷青児が2週間だけ在籍したことがあり、中山に手渡された報酬は半月分で60円であった〔『私の履歴書 文化人6』(日本経済新聞社、1983年1月 ISBN 4532030765)の東郷青児の項の記述を参照。〕。
1915年(大正4年)、大阪市南区水崎町690番地(現・同市浪速区水崎町40)に「中山化学研究所」を設立、1917年(大正6年)、研究所の成果の事業化のために「中山化学工業所」を設立、1918年(大正7年)4月、同地に新本店、工場を竣工した。1919年(大正8年)、日本文具製造株式会社(プラトン文具株式会社)を設立〔、「プラトン万年筆」を売り出す。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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