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三和銀行 : ミニ英和和英辞書
三和銀行[さんわぎんこう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [ぎん, しろがね]
 【名詞】 1. (1) silver 2. silver coin 3. silver paint
銀行 : [ぎんこう]
 【名詞】 1. bank 
: [くだり, ぎょう]
 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse 

三和銀行 : ウィキペディア日本語版
三和銀行[さんわぎんこう]

株式会社三和銀行(さんわぎんこう、英称:''The Sanwa Bank, Limited'')は、かつて存在した都市銀行2002年東海銀行と合併しUFJ銀行となった。なおUFJは、2005年平成17年)に東京三菱銀行と合併し、現在は三菱東京UFJ銀行となっている。
本店は大阪市中央区に置き〔現在の三菱東京UFJ銀行大阪営業部 所在地であるが、2013年10月より堂島浜の三菱銀行大阪支店跡の仮店舗で移転営業中。〕、メガバンク再編前、全国銀行協会会長を輪番で担当する大手6行(当行・東京三菱住友第一勧業富士さくら)の中で唯一、地方銀行の業容が拡大して都市銀行となった銀行であった。
現在の三菱東京UFJ銀行に至るまで現在の東京証券取引所上場していた。
== 概要 ==

=== 戦前 - 在阪3行の合併で発足 ===
三和銀行は、1933年昭和8年)12月、いずれも本店を大阪に置く、三十四銀行山口銀行鴻池銀行の3行合併により創立された。
鴻池銀行は、鴻池家により1877年5月に設立された第十三国立銀行に端を発し、三和銀行はこのときを創業日にしていた。鴻池家は江戸時代初期の1656年両替店を開いており、歴史は三百数十年に及び、国際的にも極めて古い金融業者であった。三和銀行のロゴの下に「since 1656」と書かれていたのはこのためである(以前はsince 1877だった)。
山口銀行は大阪・山口財閥の中心企業で、江戸時代末期の1863年開業の布屋両替店が源である。山口家は1879年4月に第百四十八国立銀行を設立し、これを山口銀行が継承した。
三十四銀行は大阪の繊維関係の商人である岡橋治助、原嘉助、野田吉兵衛、永井仙助、村上嘉兵衛、渡辺庄助、山口善五郎の7人が1878年3月に設立した第三十四国立銀行を起源とし、堅実経営に徹しながらも中小工業に対する長期金融を開始するなどの特色があった。
昭和初期の昭和金融恐慌下、三井三菱住友安田財閥系銀行がシェアを伸ばす中で、前述3行も他の小銀行併合などにより、これらに次ぐ有力銀行としての地位を固めていたが、時の軍需産業・重化学工業など新興産業の台頭に比し資金量が小規模に留まり、また、営業地盤が繊維業界を同じくする3行の競争は望ましくないとして、合併へ進んだ。1933年、三和銀行創立準備委員会が設けられ、佐野政晴(三十四銀行常務)、森信敬二(山口銀行常務)、松野龍雄(鴻池銀行取締役)の3人がメンバーになり、新銀行は本店を大阪市東区の旧鴻池銀行本店に置いた。頭取には当時日銀理事にあり、それまで大阪支店長にあって三行統合を唱道していた中根貞彦が就任。常務理事には上述の3人に日銀から下田元一が加わった。
設立直後の年末の第1回決算で預金高は10億円を超え、日本の普通銀行のトップに立った。しかし、その後の、大阪の経済的地盤の低下や、在京銀行による中小銀行併合等により、預金ランキングを落としていく。
合併行の行名選定にあたっては、三友・三光・三山・三吉・三衛・三栄・三協など多数の候補名があったが、中根頭取が「三和」を選んだ理由として、後日、「三和の意は文字通り三行が和することを意味する」と強調した。また、行内史『三和銀行の歴史』によれば、創立当時、三和の三は三十四の三、和の扁である禾は鴻池新田の稲を意味し、和の旁の口は山口の口からとったという説明もなされている。なお、この合併の推進を図った当時の日本銀行総裁 土方久徴が頭取の人選を一任され、「三和」と命名したとされている〔大阪朝日新聞 1933年8月18日付、『三和銀行の歴史』 P108 ~ P110〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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