翻訳と辞書
Words near each other
・ 三叉神経視床路
・ 三叉神経路切開術
・ 三叉神経運動核
・ 三叉神経運動根
・ 三叉神経頬神経
・ 三叉神経麻痺
・ 三叉路
・ 三叉路 (ミュージシャン)
・ 三叉迷走神経反射
・ 三叉駅
三友倶楽部
・ 三友健容
・ 三友寺
・ 三友工業
・ 三友康平
・ 三友派
・ 三友牧場
・ 三友盛行
・ 三友社出版
・ 三友館


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

三友倶楽部 : ミニ英和和英辞書
三友倶楽部[さんゆうくらぶ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [とも]
 【名詞】 1. friend 2. companion 3. pal 
倶楽部 : [くらぶ]
 【名詞】 1. club 2. fraternity 3. sorority 4. clubhouse 
: [たのし, らく]
  1. (adj-na,n,n-suf) comfort 2. ease 

三友倶楽部 : ウィキペディア日本語版
三友倶楽部[さんゆうくらぶ]
三友倶楽部(さんゆうくらぶ)は、かつて存在した大阪映画会社である。明治末期の1909年〔「三友倶楽部」の後継会社である「有限会社サカエマチ中央ビル」の公式サイト「サンポードシティ|会社プロフィール 」の記述による。〕、千日前商店街(現在の大阪市中央区千日前1丁目)に設立、映画の興行のほか、大阪で初めて映画製作を行った会社として知られる〔産経ニュース記事「映画興行発祥の地、大阪ミナミを日本のハリウッドに! 」(2007年11月18日1時11分付)による記述。〕。
==略歴・概要==
1909年(明治42年)、滋賀県出身の実業家山川吉太郎が設立した〔。同地に活動写真館を開設し、また「大阪初」となる映画製作を開始した〔。同社は「撮影所」を所有していなかったが、舞台での芝居とロケーション撮影を組み合わせた「連鎖劇」を量産した〔「千日前商店街」公式サイトの記事「早稲田とミナミがコラボした上方文化ルネッサンス始動 」の記述を参照。〕。
1910年8月7日、大都市圏での日本初の野外映画イヴェント「活動写真競技」(主催大阪毎日新聞)が浜寺海水浴場で開かれ、東京の吉沢商店と京都の横田商会が自社製作の映画を競って上映した。翌1911年8月の同イヴェントでは、前年同様の横田商会に対して、吉沢商店に代わって山川の「三友倶楽部」が自社製作の映画を上映している〔オンライン映画学術批評誌「CMN!」サイトの藤岡篤弘の論文『野外上映映画の諸相 - 戦前期の日本の大都市圏における映画イベント 』、および同論が参照した『大阪毎日新聞』1911年8月7日付社告による。〕。
1911年当時の山川は、同社を経営するかたわら、前年の1910年7月に東京で設立された映画会社「福宝堂」の「大阪支店長」を任されていた〔田中純一郎『日本映画発達史〈1〉活動写真時代』(中央公論社1968年)の記述を参照。〕。「福宝堂」は、1912年10月に吉沢商会、M・パテー商会、横田商会との4社合併で「日活」になり、山川は「日活大阪支社」を任された〔。
1912年1月16日、千日前はもちろん高津、生国魂神社までが焼け野原になった、いわゆる「ミナミの大火」〔Wikipedia「楽天地 (大阪)」の記述を参照。〕で同社本社屋は焼失した。当時のフィルモグラフィも現在では定かではない〔初期の無声映画をも網羅している日本映画データベースの「1911年 公開作品一覧 401作品 」にも、「1912年 公開作品一覧 401作品 」にも「三友倶楽部」作品は見当たらない。Internet Movie Databaseも同様であった。〕。
「三友倶楽部」は興行においても、1911年には京都の新京極にも活動写真館をオープンしている。『京都日出新聞』(『京都新聞』の前身)の当時の調査によれば、1913年の新京極での正月興行は松竹の「歌舞伎座」に次いで2位、1914年夏興行(7月14日 - 16日)では「パテー館」、「帝国館」に次ぐ3位をキープした。同館は1915年8月に火事を起こして一時閉館、翌1916年12月31日「三友劇場」として開館し1945年まで営業した〔立命館大学の「京都映像文化デジタル・アーカイヴ マキノ・プロジェクト」サイトの記事「『日出新聞』に見る1913 - 1917年新京極映画館街の出来事 」の記述を参照。〕。
同社の経営は、山川の親族の経営する「サンポードグループ」(12社)が現在まで引き継いでいる〔。「サンポード株式会社」は1991年に金秀吉監督の映画『あーす』を製作、製作委員会に同社の山川暉雄がクレジットされている〔日本映画データベースの「あーす 」およびを参照。〕。同作は文化庁年間優秀作品賞を受賞した〔Wikipedia「金秀吉」の記述を参照。〕。
2008年2月、千日前商店街によって同社跡地にレリーフが飾られた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三友倶楽部」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.