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ヴォー・ヴァン・キエット : ミニ英和和英辞書
ヴォー・ヴァン・キエット[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヴォー・ヴァン・キエット : ウィキペディア日本語版
ヴォー・ヴァン・キエット[ちょうおん]

ヴォー・ヴァン・キエット(, 漢字: 武文傑, 1922年11月23日 - 2008年6月11日"Ex-Vietnam premier Vo Van Kiet dies at 85: government" , AFP, June 11, 2008.〕)はベトナムの官僚、政治家。南ベトナムにおいて長らく続いた抗仏戦争及び抗米戦争の古参闘士。1991年から1997年、ベトナムの首相を務め、数十年間の戦争で孤立した共産主義国家ベトナムを、世界の舞台へ復帰させることに尽力した。ベトナムにおけるドイモイ(刷新)政策を推進した政治指導者の1人とされる。暗号名は、サウ・ザン ()。
== 経歴 ==
キエットは1922年、フランス領インドシナコーチシナ直轄領(南ベトナム)、ヴィンロン省 県 社の小作農の家庭に生まれた。生誕名はファン・ヴァン・ホア ()。1939年、インドシナ共産党への入党が認められ、この時にヴォー・ヴァン・キエットへ改名した。彼は反帝国主義青年運動に参加し、 県においてナムキー(コーチシナ)暴動の一翼を担う。
共産党率いるベトミン独立運動の一員として、キエットは第一次インドシナ戦争(1946–1954年)中、南ベトナムにおいてフランス軍と闘った。そして1954年のジュネーヴ会議において、国土を南北に分割することが決まると、北ベトナムに集結した。
1960年9月、ベトナム労働党第3回党大会において非公然党中央委員候補として秘密裏に選出され〔第3期党中央執行委員会(1960-1976年) 〕、1972年には正委員に昇格した〔。1976年の南北ベトナム統一後、彼は党委員会副書記に任ぜられ、ホーチミン市(旧サイゴン)人民委員会議長の職を引き受けるため、南ベトナムに戻った。その直後の12月、第4回党大会において党政治局員候補に選出され〔第4期党中央執行委員会(1976-1982年) 〕、ホーチミン市党委員会書記となった。
1982年、第5回党大会において政治局員に選出〔第5期党中央執行委員会(1982-1986年) 〕。まもなくハノイに召喚され、閣僚評議会副議長(副首相)兼国家計画委員会主任に任命された。1986年、第6回党大会において政治局員に再選出され〔第6期党中央執行委員会(1986-1991年) 〕、1987年には第一副首相に任命。1988年3月、ファム・フン首相が急死すると、首相代行に任命され、同年6月まで務めた〔, VietBao.vn, October 18, 2006.〕。ドー・ムオイと首相の座を争ったが、北部を基盤とする保守派はムオイ支持にまわり敗北した〔坪井(1994年)、175ページ〕。1991年8月9日、第8期第9回国会において、書記長となったドー・ムオイに代わり、閣僚評議会議長(首相)に選出された〔『アジア動向年報』1991年版 、214ページ〕。1992年7月、新憲法採択後初の国会議員選挙においてホーチミン市4区から立候補して当選〔『アジア動向年報』1992年版 、212ページ〕。同年9月24日、第9期第1回国会において首相に再選した〔http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1992/201/1992201DIA.pdf 『アジア動向年報』1992年版]、204ページ〕。
1996年、第8回党大会において政治局員に再選するとともに、新設の政治局常務委員に就任。
1997年7月の国会選挙に立候補せず、同年9月の第10期第1回国会で首相職をファン・ヴァン・カイに譲った。同年12月、第8期中央委員会第4回総会において政治局員を退任し、党中央委員会顧問に就任した。2001年4月、第9回党大会において党顧問職が廃止され、引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴォー・ヴァン・キエット」の詳細全文を読む




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