翻訳と辞書
Words near each other
・ ロジャー・フライ
・ ロジャー・ブラック
・ ロジャー・ブルック・トーニー
・ ロジャー・ブレスナハン
・ ロジャー・ブレズナハン
・ ロジャー・プラット
・ ロジャー・ヘイデン
・ ロジャー・ベルナディーナ
・ ロジャー・ベロン
・ ロジャー・ベーコン
ロジャー・ペキンポー
・ ロジャー・ペンスキー
・ ロジャー・ペンローズ
・ ロジャー・ホイッテーカー
・ ロジャー・ボボ
・ ロジャー・マイヤーソン
・ ロジャー・マクダウェル
・ ロジャー・マクダウエル
・ ロジャー・マッギン
・ ロジャー・マニング


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ロジャー・ペキンポー : ミニ英和和英辞書
ロジャー・ペキンポー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ジャー : [じゃー]
 【名詞】 1. jar 2. (n) jar
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロジャー・ペキンポー : ウィキペディア日本語版
ロジャー・ペキンポー[ちょうおん]

ロジャー・ペキンポー(Roger Thorpe Peckinpaugh、 1891年2月5日 - 1977年11月17日)は、1910~1920年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。主なポジションは遊撃手オハイオ州ウースター生まれ。右投げ右打ち。1925年のアメリカンリーグ最優秀選手で、ヤンキースでは長くキャプテンを務めた。
==来歴・人物==
1910年にクリーブランド・ナップスに入団し、主に守備要員として試合に出ていた。1912年には70試合に出場したが、翌年は殆ど試合に出る機会がなく、同年5月にニューヨーク・ヤンキースにトレードに出された。
ヤンキースでは1914年からレギュラーの遊撃手となり、この年からヤンキースのキャプテンを任される。この年に500補殺を記録するなど主に守備の面で活躍し、同年9月以降は監督も兼任した。ヤンキース在籍中の1921年までの間に、ペキンポーは遊撃手としての補殺数でリーグ最多を3度、また併殺数リーグ最多を2度記録している。打つ方では目だった活躍はなかったが、1919年に自身唯一の打率3割(.305)を記録した。
1921年、ペキンポーは一度レッドソックスにトレードに出され、その後レッドソックス、セネタース、アスレチックスの間の三角トレードでワシントン・セネタースに移籍し、ヤンキースのキャプテンはペキンポーからベーブ・ルースが受け継ぐことになる。セネタースでは1923年に510補殺と105の併殺(いずれもリーグ最多)、また打つ方では40もの犠打を記録するなどチームを引っ張り、翌1924年のセネタース初のリーグ優勝とワールドシリーズ制覇に貢献する。
1925年にはセネタースをリーグ2連覇に導き、ペキンポーはこの年の最優秀選手に選ばれた。しかし2連覇をかけた1925年のワールドシリーズでは、7戦で計8つものエラーをしてしまったことが響き、セネタースはパイレーツの前に敗退した。
ペキンポーは1927年まで選手を続け、引退後はインディアンズの監督に就任した。監督を退いた後は、インディアンズのゼネラルマネージャー及び球団代表を務めた。1977年にクリーブランドで死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロジャー・ペキンポー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.