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ロジャー・フェデラー : ミニ英和和英辞書
ロジャー・フェデラー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ジャー : [じゃー]
 【名詞】 1. jar 2. (n) jar
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロジャー・フェデラー : ウィキペディア日本語版
ロジャー・フェデラー[ちょうおん]

ロジャー・フェデラー(Roger Federer 、1981年8月8日 - )は、スイスバーゼル出身の男子プロテニス選手。身長185cm、体重85kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
テニスの教本のような理想的なフォームを持ち、あらゆるショットを流れるように駆使するプレースタイルから、最も完成度の高い選手と評されている。
グランドスラム男子シングルス最多優勝・歴代最長世界ランキング1位・通算獲得歴代最多賞金など数々の記録を塗り替えてきたことから、史上最高のテニスプレーヤーとの呼び声が高い。
スイス代表としても功績を残しており、北京五輪男子ダブルス金メダル、ロンドン五輪・男子シングルス銀メダル、2001年ホップマンカップ優勝、2014年デビスカップ優勝に貢献している。
スポーツの各分野で活躍した選手を称えるローレウス世界スポーツ賞2005年から2008年にかけて4度受賞し、競技の枠を超えて高い評価を受けているスポーツ選手である。
== 選手経歴 ==

=== キャリア初期 ===

ボリス・ベッカーに憧れ、8歳からテニスを始めた。17歳の時に、ウィンブルドン選手権男子ジュニアのシングルス・ダブルス両部門で優勝、ジュニア世界ランキング1位になる。ジュニア時代はカテゴリGA優勝2回、G2優勝2回を飾る。同年にプロ転向を表明。翌1999年には、ATPツアー参戦への登竜門とされるブレストで開催されたATPチャレンジャーで初優勝を飾る。フェデラーはその能力の高さから専門家の間で将来の活躍が大いに期待されていたものの、当時はメジャーな大会で目立った活躍はなく、既に輝かしい実績を残していた同世代のレイトン・ヒューイットマラト・サフィンフアン・カルロス・フェレーロに隠れた存在であった。
しかしながら、2000年シドニー五輪の男子シングルス部門の銅メダル決定戦においてアルノー・ディ・パスカルの敗戦を機に著しい成長をみせ、2001年1月には国別対抗戦であるホップマンカップにて母国スイスの優勝に貢献、さらには同年2月のミラン・インドアーズでATPツアー・シングルス部門で初のタイトルを獲得した。
また同年6月には2001年ウィンブルドン4回戦で、1993年大会から2000年大会の8年間に7度も優勝に輝き、ウィンブルドンでは無敵の強さを誇っていた第1シードのピート・サンプラスを3時間41分のフルセット 7-6, 5-7, 6-4, 6-7, 7-5 の末に破る大金星を挙げ、大変な注目を集めた。翌2002年には四大大会に次ぐ大規模トーナメント群であるマスターズ・シリーズ(現:ATPマスターズ1000)に所属するハンブルグ・マスターズマラト・サフィンを破って優勝し、同年に世界ランキングでトップ10入りを果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロジャー・フェデラー」の詳細全文を読む




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