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ロジャー・ウィリアムズ : ミニ英和和英辞書
ロジャー・ウィリアムズ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ジャー : [じゃー]
 【名詞】 1. jar 2. (n) jar
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロジャー・ウィリアムズ : ウィキペディア日本語版
ロジャー・ウィリアムズ[ちょうおん]

ロジャー・ウィリアムズ(英:Roger Williams、1603年12月21日 - 1683年4月1日)はイギリス生まれの神学者であり、政教分離原則の著名な提案者であり、アメリカインディアンの公正な扱いを主導し、アメリカ合衆国ロードアイランド州プロビデンス市の創設者であると共に、ロードアイランド植民地の共同設立者でもある。アメリカでは最初あるいは2番目のバプテスト教会を創立した。
== 伝記 ==

=== 生い立ち ===
ウィリアムズは1603年にイギリスのロンドンで、ピューリタンとして生まれた。父親はジェイムズ・ウィリアムズ (1562-1620)で、スミスフィールドの商人だった。母親はアリス・ペンバートン (1564-1634)といった。
著名な法律家エドワード・コーク卿 (1552-1634)の庇護の下、ウィリアムズはサットン病院とケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジで教育を受け、1627年に学士号を受けた。語学の才能に恵まれていたと思われ、早期にラテン語ギリシャ語オランダ語およびフランス語を習得した。5歳年下の詩人ジョン・ミルトンにオランダ語を教え、その代わりにヘブライ語を教えて貰った〔Robert H. Pfeiffer, "The Teaching of Hebrew in Colonial America"
''The Jewish Quarterly Review'', (April 1955), pp. 363-373, ''accessed through'' JSTOR〕。

ケンブリッジを卒業したウィリアムズは、富裕な家庭の家付き牧師となった。1629年12月15日エセックスのハイレーバーの教会でメアリー・バーナード (1609-1676)と結婚した。夫妻には6人の子供が生まれたがすべてアメリカでだった。
1630年が終わる少し前に、ウィリアムズはウィリアム・ラウド大司教の厳格な(そして高教会派の)管理の下にあるイギリスでは働いていけないと考え国教反対の立場を採った。大学と国教会における昇進の話を蹴り、その代わりに自国では否定される良心の自由をニューイングランドに求めていくことにした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロジャー・ウィリアムズ」の詳細全文を読む




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