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ルー・ゲーリック : ミニ英和和英辞書
ルー・ゲーリック[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ルー・ゲーリック ( リダイレクト:ルー・ゲーリッグ ) : ウィキペディア日本語版
ルー・ゲーリッグ[ちょうおん]

“ルー”ヘンリー・ルイス・ゲーリッグHenry Louis "Lou" Gehrig, ドイツ語:''Heinrich Ludwig Gehrig''(ハインリヒ・ルートヴィヒ・ゲーリヒ), 1903年6月19日 - 1941年6月2日)は、メジャーリーグプロ野球選手内野手)。
== 概要 ==
ゲーリッグは毎日プレーを厭わないその頑丈さから鉄の馬(''Iron Horse'')と呼ばれ、からの14年間に渡り、当時の世界記録となる2130試合連続出場を果たした。1939年、体調異変を感じて自ら欠場を申し入れ、記録は途切れた〔「アメリカ野球雑学概論」『週刊ベースボール』2009年4月20日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20445-4/20、68頁。〕。後の診断で筋萎縮性側索硬化症と診断されたゲーリッグは引退を決意した(この病気は「ルー・ゲーリッグ病」と称されることもある〔)。
ゲーリッグが現役生活の晩年に手のレントゲン撮影を行ったところ、手だけで17もの骨折箇所が見つかった。連続出場はこれほどまでに彼の身体に負担を強いており、筋萎縮性側索硬化症の発症がなくても、遠からずその記録は途切れていただろうと推察される。
記録のためにただ出場を続けていたわけではなく、MLB史上に残る非常に優れた打者でもあった。17年間で2000近い打点を挙げ、生涯打率は.340(歴代17位)。通算の長打率OPSは歴代3位、出塁率でも歴代5位の.447と、打席に立てばほぼ2回に1回は塁に出た。オールスターに7回選ばれ(オールスターは1933年が初開催)、とにはアメリカンリーグMVPを受賞、1934年には三冠王を獲得している。
1939年に当時史上最年少で殿堂入りを果たし、MLB史上初めて自身の背番号4』が永久欠番に指定された選手にもなった。
ゲーリッグは1941年6月2日に37歳の若さで亡くなり、翌1942年にゲーリッグの半生を描いた『''打撃王''』が公開された。
ゲーリッグの連続試合出場記録は当初不滅の記録と思われていたが、6月13日、日本プロ野球衣笠祥雄広島)に更新され、MLBでは1995年9月6日カル・リプケン・ジュニアボルチモア・オリオールズ)によって更新された。
その他のニックネームには"Columbia Lou"、"Biscut pants"、"Larrupin' Lou"というものがあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルー・ゲーリッグ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lou Gehrig 」があります。




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