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ルイーズ・エリザベート・ド・フランス : ミニ英和和英辞書
ルイーズ・エリザベート・ド・フランス[らんす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ランス : [らんす]
 【名詞】 1. lance 2. (n) lance

ルイーズ・エリザベート・ド・フランス : ウィキペディア日本語版
ルイーズ・エリザベート・ド・フランス[らんす]

マリー・ルイーズ・エリザベート・ド・フランスMarie-Louise-Élisabeth de France, 1727年8月14日-1759年10月6日)は、パルマ公フィリッポスペイン語名フェリペ)の妃。イタリア語名ルイーザ・エリザベッタ・ディ・フランチア(Luisa Elisabetta di Francia)。
フランスルイ15世と王妃マリー・レクザンスカの長女として、ヴェルサイユで生まれた。双子の妹アンリエットがいる。誕生時から「マダム・プルミエール」(Madame Premiere)と呼ばれたが、父からはバベット(Babette)と呼ばれていた。1739年2月、スペイン王子フェリペ(フェリペ5世と王妃イサベルの次男)との婚約が発表された。政治的・軍事的なカトリック勢力の結びつきを強める目的で、フランス・スペイン間の政略結婚は伝統となっていた。ルイーズ・エリザベートはヴェルサイユを出発し、同年10月、アルカラ・デ・エナーレスでフェリペと結婚した。
夫との結婚生活は不幸だった。スペイン宮廷は、フランス宮廷より儀礼的で厳格であり、ルイーズ・エリザベートは自分も義母イサベルに支配されていると感じた。彼女は人形遊びで一日の大半を過ごし、14歳で生んだ長女マリア・イザベラを甘やかした。ルイーズ・エリザベートは、自分の不幸な状況を手紙で父に伝えた。
フェリペの妹、マリア・テレサはルイーズ・エリザベートの兄ルイ・フェルディナン王太子の元へ1745年に嫁いでいった。両家の二重結婚も珍しいことではなかった。〔長女マリア・イザベラ、長男フェルディナンドもハプスブルク=ロートリンゲン家との二重結婚だった。〕
1748年、ルイーズ・エリザベートはスペインから避難することができた。エクス・ラ・シャペル条約によりオーストリア継承戦争が終結し、マリア・テレジアは夫フランツの神聖ローマ皇帝位を認めさせる代わりに、パルマ・ピアチェンツァグアスタラの公位を仇敵フェリペ5世へ渡した。ルイ15世の介入により、パルマ公位はフェリペとルイーズ・エリザベートのものになった。1748年12月にルイーズ・エリザベートはパルマ経由でヴェルサイユを訪れ、父に感謝を伝えた。この滞在時に、ルイーズ・エリザベートは寵姫ポンパドール夫人を知った(ルイ15世の寵姫全てを嫌った母マリーや他の兄弟姉妹とは違い、ポンパドール夫人に好感を持った)。1749年にパルマへ帰国すると、彼女はフランス宮廷の儀礼や料理を持ち込んだ。
1752年に、双子の妹アンリエットが亡くなったため、フランスを訪問し妹の墓のあるサンドニ修道院を詣でた。数週間の滞在のつもりだったが、結局1年あまりのヴェルサイユ滞在となった。
ルイーズ・エリザベートはマリア・テレジアと同盟し、長女マリア・イザベラをヨーゼフ大公(のちのヨーゼフ2世)へ嫁がせた。
1759年、ヴェルサイユ滞在中にルイーズ・エリザベートは天然痘に罹患し、12月に急死した。彼女はサン・ドニ修道院の妹アンリエットの隣に埋葬されたが、2人の墓はフランス革命の最中に荒らされた。
==子供==

*マリア・イザベラ(1741年 - 1763年) オーストリア大公ヨーゼフ妃
*フェルディナンド(1751年 - 1802年) パルマ公、妃はヨーゼフの妹マリア・アマーリア
*マリーア・ルイーザ(1751年 - 1819年) スペイン王カルロス4世妃〔兄フェルディナンドが1751年1月生まれであるのに対し、マリア・ルイーザは同年12月生まれである。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルイーズ・エリザベート・ド・フランス」の詳細全文を読む




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